決断人生を左右した大きな出来事。それは嫁のお腹の中に我が子が出来たと言う知らせ!正直嬉しさと同時に不安がよぎった…自分なんかが親になって良いんだろうか? 博打に明け暮れ、日々中途半端に生きてる自分。父親等になっても許されるのだろうか?妊娠発覚から常にこの不安は付き纏った。 この時、初めて親になる事の責任の大きさに圧倒された。こんな浮き沈みの激しい人生では駄目だ 安定した生活を送らないと。しかし考えるまもなく直ぐに不幸は訪れる。収入の更なる低下!! 全国ランク40位前後の成績不振店への転勤、しかも併せて部下2名が昇格し別の店舗へ移動。 今までの天国の様な生活が一変すると同時に、部下が居なくなった事で、自由時間が減りパチンコでの収入も得られなく成る。 そして全ての歯車が狂いだす。いつかこんな日が来るとは想定していたが、余りにも一気に押し寄せてきた為 少々取り乱しそうになった。しかし子供が生まれてくると言う現実は変える事が出来ない。 色々と考え、先ずは転勤先での成績を上げる事を最優先に努力する事にした。 そもそも借金時代の辛い生活を考えれば、今時分が置かれている立場はゼロに戻っただけの事。 また一から築き上げれば良いことだ!と自分に問いかけ日々成績UPを目指し頑張り始める。 その甲斐あってか次第に成績は上がり始めるが、既にカラオケブームも下降線をたどり始めた頃、 値下げやサービスによる集客はライバル店も直ぐに対抗し、結果お互いの首を絞めあう形になる、 時には美形の女の子を使い、道歩く単価の高そうな連中に、キャッチ行為をさせ売上げのバックマージンを渡し売上げを伸ばしたりもした。 また時には通常20人前後しか入らないパーティールームに40名入ります!と嘘を付き 無理やり押し込みトラブルにもなった。成績不振は激戦区の立地によるもので決して需要が少ないわけでは無かった。 如何に効率よく単価の高い客を店に入れるか…これだけが、唯一生き残って行く道だった。 その為、ピークの時間帯近くに成ると、全室空き部屋にも関わらず単価の安そうな客は全て満室ですと断り、 ライバル店のサービス券を断る客に渡して、単価の高い客層だけを選んで自分の店舗に入店させる事を続けた。 それでも競争は激化する一方。売上げの現状維持が精一杯だった。 時折、店舗を視察に来る統括者に部下の前で罵倒され説教をされたりする日々が続くが、 産まれてくる子供の為にも、ここは頑張るしかないと自分を追い込み早朝までの勤務を続けた。しかし更に不幸は重なる。 経営者の死去に伴う大幅な会社組織の大改革!! その改革は金銭面にも大きく影響した、先ずインセンティブの全撤廃・あらゆる手当ての見直し。 そして大幅な人員削減。そぅリストラの嵐が社内を襲った!!当時27歳の私はリストラの対象年齢からは離れていたが、 今までお世話になった先輩達が対象に…仕事には大変厳しかった先輩達。時には怒鳴られたりもした、 仕事にはとても厳しい人が多かった。でも厳しい以外にも沢山の遊び方も楽しく教えて頂いた。 仕事が終わっても私生活で何かと可愛がって貰った先輩達が、体験した事も無いような営業部門や集金部門に 移動を命ぜられ自主退職していく姿を目の当たりにして、言葉に詰まった。 送別会に参加しても参加者全員が何処かヨソヨソしくて、今まで明るかった社内は次第にギスギスした。 当時のリストラは組織の中で優等生だけを残し、潤滑油的な人間味溢れる人材は一切必要としていなかった。 そんな社内で吹き荒れるリストラを目の当たりにし、自分はどんなに頑張っても将来優等生には成れない。 いや優等生には成りたく無いと言う拒絶感が心の中にあふれ出す。 そんな気持ちでも、生まれてくる子供の為に今ここで頑張らなくてはと自分自身に言い聞かせ子供の誕生だけを楽しみに仕事は続けていた。 そして平成10年10月26日父親になる・・・ 初めて子供を抱いた時、これからの責任の重さを痛感したが、それでも尚優等生に成りたくないと言う気持ちが消える事は無かった。 しかし妻子を持ちながら、今までの博打を始めとした生活行為を続ければ確実に生活は破綻するだろう。 しかしこのまま会社に所属するには優等生になり組織の一員として会社に貢献し続けなければ駄目だ! そもそも浮き沈みの無い生活を送るためには後者を選ぶべきだ。 けど心の中で釈然としない気持ちが渦巻いてしまう。 そんな事を考えながらも年が明けた平成11年の28歳の誕生日を目の前に 3つの大きな目標を決め思い切った行動にでる・・・ 1 家族との時間を大切にしたい 2 自分の好きな事を仕事にし生涯それを貫きたい 3 何事も遣らずに後悔するより、遣って後悔したい 高校を卒業し9年11ヶ月勤めた会社に退職の意向を伝えた。 勿論嫁に話はした。 嫁『辞めてどうするの? 』 オラ『パチプロに成る・・・』 嫁『ぇぇえええ~何で・・・・・』 オラ『パチンコが好きだから!ただそれだけ』 嫁『・・・・・・・・・・』 そして平成11年2月15日約10年勤めた放送会社に別れを告げパチンコの世界へと旅立つ 【続く】 【目次へ戻る】 |