2008/05/06(火)23:05
「木とともに」の人生
'08/5/3 中国新聞 天風禄より
「僕は根っからの吉和(廿日市市)の材木屋」が口癖だった。亡くなったウッドワン名誉会長、中本利夫さんである。木の魅力を聞かれると、表情から企業経営者の厳しさが消え、青年のように若やいだ
▲有数の総合建材メーカーに育て、晩年は古里吉和に開設した美術館の館長。いろんな顔のなかで、林業家の肩書を最も好んだ。山を知り、木を知る。それが階段やドアなど、いい建材づくりにつながるとの信念だった
▲周囲を驚かせることが二度あった。一つは、ニュージーランド政府が売り出した国有林の経営権を手に入れたこと。琵琶湖と同じ面積の森で植林、伐採。近くに設けた工場で製材し、日本に送る仕組みをつくった
▲もう一つは、岸田劉生の「毛糸肩掛せる麗子肖像」の購入だ。国内のオークションで当時最高の三億六千万円で落札した。中国山地の小さな美術館と知った美術ファンはびっくり、一躍知名度を上げた。企業メセナの功績が認められた中国文化賞の受賞で「柄にもない」とはにかんだ
▲山口、島根県境近くにある樹齢百五十年の「八郎杉」が何より自慢だった。天に向かって伸びる天然林を「あと百年は切るな」と言い続けた。山を愛し育てた七十八年の生涯。大好きだった木といま何を語り合っているだろう。
写真は吉和 美術館前 (雪とんぼ撮影)
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