帰る場所の話
父がまた土地を買って、帰る場所が増えた。これはなんだかプレッシャーである。恋人のことや薬のこと、仕事のことや学業のこと、跡継ぎのことなど最近は、実家に帰ってもなんとなく触れられたくない話題が増えてきたために何も気にせずのんびり、とは行かなくなってきたのが事実。改めて、ここにつらつらと書いている私を本当には誰も知らないと思い込んでみよう。そうしてもう一度、自分と話をしてみよう。恵まれている、ということと幸せである、ということが素直に繋がらない。要不要の判断を後にして、手に入れられる物を欲張って手に入れていたらなんだか身動きが取れなくなってしまった。整理、整理で日が暮れる。整理、整理で年を取る。本腰を入れる。というのは、どういう状態を指すんだろうか。決心、は必要なのだろうか。そもそも今まで、決心らしい決心を私はしたことがあっただろうかと思う。単なる選択、の範疇を出ずにして1あるいは2、右あるいは左などとくねくねやり過ごしてきただけではないか?私は何がしたい?したくないことから離れるための消極的な選択が多かったと今までを仮定するならばしたいことをするための積極的な選択がもしや決心なるものの正体か?違うな。何かを追うのと何かから逃げるのとでは、逃げる方が頭を使うかもしれない。が、何かを掴むのと何かから逃げるのとでは、掴む方がよほど大変な事である。そうか、いままで私は怠けていたのだ。と言う風にすると理屈でいえばちょっとすっきりするし、これにすとんと頷いて気分一新、となれば美しいけれどどうしていつもいつまでも、私には鬱屈が残るのだ。私は何がしたいのだ。