2005/06/10(金)04:24
はぎしり
いかんせん、きょうは、おかしかった。
しごとのあいだもいらいらしていて、
いやなほうの、あたしだった。
きもちをすこしでもやさしくしようと、
かえりみちに、みちでうたをきいた。
こころはやわらかくなったけれど、
いかんせん、きょうは、ひどかった。
かえりのでんしゃのなかで、
ねたふりをして、じっとたえていたけれど、
ほんとうは、さけびたかった。
かえりのよみちのじてんしゃで、
はぎしりをして、とばしたけれど、
ほんとうは、なきたかった。
なにか、はっきりしたきっかけが、
あったわけじゃあない。
ちいさいころから、いつも、ずっと、
すこしだけとくべつあつかいをされてきた、このおんなのこは、
いま、まわりのひとたちがみんなそれぞれの、
じぶんのことにむちゅうになってしまっていて、
ゆめからさめたように、とほうにくれている。
ばかだったのかもしれないし、
あまったれっていわれればそれまでだし、
いいかえればただの、せけんしらず。
だけれども、まだ、ゆめをほんとうだとしんじようとしている。
しんじたい、ということと、
いや、ほんとうはちがうよということとが、
なめているうちにいろのかわる、なつかしいあめみたいに、
じゅんぐりに「そう」をなしていて、
どれが「しん」で、いきつくさきのほんとうなのか、わからない。
むかしよんだほんにあった、ことば。
「じんせいは、たまねぎににている。
いちまいずつむいていくと、さいごには、なにもない」
それは、うそだと、ほんのうがしんじたがっている。
いまの、あたしの、りそうのひとについて。
どんなひとなら、たすけてくれそうなのか。
ひとかたまりのことばをかいたけれど、
あんまりかなしくなってくるから、
きょうは、ここには、かかない。
ことばが、わいてこないひは、あぶないとおもうけど、
さいきんのあたしときたら、いつも、
ことばことばことば、とことばをさがしていて、つかれる。
じぶんの「いま」のこころをそのままにtraceするなんて、
ちょっとかんがえればむりだって、わかるんだけど。
おとなになればなるほど、
「いま」がつかめない、せっせんになる。
こどものころの「いま」とか「あした」は、
なんてどっしりとしていたんだろう、とおもう。
あのころは、せいかくであること、なんて、いらなかった。
だってすべてがありのままに、そのときに、ぜんぶ、
はいってきていたんだから。
きっと、なにをさがすひつようも、なかった。
ひさしぶりにひとりで、なく。
あたしのなきぐせは、かわってやしない。
つぎにめがさめたら、
きょうよりもつよくなっていますように。