ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

2013/12/01(日)20:21

文法家列伝:古代ローマ・中世編(5/5)

言語学(310)

(5)言語過程説から古代ローマ・中世の文法学を評価する  本稿は、古代ローマと中世の文法家を順に取り上げて、その言語研究における成果を概観することで、言語学史の論理的把握の端緒を目指したものです。  前回まで、ワロー、プリスキアヌス、エルフルトのトマスという3人の文法家の言語研究における業績を見てきました。ここで改めて大事な部分を振り返っておきましょう。  まずワローについてですが、彼は「合則性」(アナロギア)と「不規則性」(アノマリア)の論争を詳述し、「屈折は普遍的・法則的だが派生は特殊的だ」と述べることでこの論争に決着を付けました。また、格と時制を屈折の主要指標とし、格と時制の屈折だけを基準として品詞を4つに分類するという純粋に形式主義的な品詞分類を行ったり、時制を時(過去、現在、未来)と相(完了、未完了)に基づいて区別したりするなど、独創的な成果を挙げました。  プリスキアヌスは、内容主義的な文法理論を主張しました。しかし結果的には、名詞と形容詞を形式上区別できないことから同一範疇で捉えたり、分詞を格と時制を併せ持つことを根拠にして名詞や動詞から独立させたりするなど、形式主義的な側面があり、また、不変化詞については統語上の観点を重視する機能主義的傾向の強い文法理論を構築したのでした。とはいえプリスキアヌスの文法は、ギリシャ語文法をラテン語に適用させたという意味でローマ時代の文法学の集大成であり、中世のラテン語文法や近代の学校文法に非常に大きな影響を与えたのでした。  最後に中世後半に活躍したエルフルトのトマスを取り上げました。彼はスコラ哲学の認識論に基づいて言語を研究し、対象や認識との関係において言語の普遍性を追求しました。 また、屈折形が主体的表現の表れであることを直観的に把握するなど、一定の評価に値する研究成果を残しました。しかし、品詞の定義にみられるように、プリスキアヌスの経験的内容主義の水準を超えることなく、かえって機能主義的な側面が前面に出てしまう結果となったのでした。  以上、これまでの流れを簡単に振り返りましたが、このような古代ローマ・中世期の文法家が提出した言語理論は、言語過程説からどのように把握することができるのでしょうか。  まず、古代ギリシャで言語研究の中心であった形態論から、古代ローマ・中世期には統語論が研究され始めたことが注目に値します。言語の個々の部分を単独で取り上げて、その形を様々に論じる中で、語形が変化する語と変化しない語に分けられ、次いで語形が変化する語について、その変化の種類に応じて品詞分類がなされていったのが古代ローマの言語研究でした。また、名前は事物に対して自然なものがつけられたのか、それとも恣意的に、慣習によって名づけられたのか、という論争についても、個々の語を取り上げて、それを分析するという域を超えるものではありませんでした。ところが古代ローマから中世にかけては、語を統べる関係についての理論である統語論が盛んに研究されるようになりました。エルフルトのトマスに至っては、文を構成する原理についての考察がなされていますが、これは明らかに古代ギリシャの言語研究の枠組みを超えるものとして、大きく評価できる業績です。  また、内容主義的言語理論が主張されたことも大きな特徴です。古代ローマのプリスキアヌスはアポロニオス・デュスコロスの影響を受けて、各品詞に共通する類としての意味を明確化する考え方を継承しました。エルフルトのトマスは品詞分類において、可能な限り屈折のあり方などの形式主義的部分を削除し、各品詞の意味を基準にしました。これらの取り組みは、決して十分な成果を挙げたとは言えないものですが、大きな発展の方向性として、形式主義的な言語理論から内容主義的な言語理論への過程と見ることができます。さらに、エルフルトのトマスにおいて、対象や認識との関係において言語の普遍性が追及されたこと、対象の把握とは別に存在する主体的表現が直観的にでも把握されたことは、まだ萌芽形態にも至っていないとはいえ、科学的な内容主義の言語理論が登場する可能性を示しているといえるでしょう。  科学史一般における成果と同様、言語学史においても古代ローマは古代ギリシャの模倣の時代であり、中世期は停滞の時期であったことは確かですが、このような中にも、統語論や言語と認識とのつながりなど、関係の考察とも言えるような把握が人類の認識に発生してきたことは、しっかりと捉えておく必要があるでしょう。そしてこうした関係の考察が深められていって、遂に17世紀において花開き、ポール・ロワイヤル文法やロックの言語論につながっていくことになるのです。 (了)

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