カテゴリ:学一般
(8)実力向上のための学びには順序がある
今回取り上げるのは、瀨江千史先生、本田克也先生、小田康友先生、菅野幸子先生による新・医学教育 概論である。医学教育が成功するためには何が必要かについての論が展開されている。 本論文の著者名・タイトル・目次は以下の通りである。 瀨江千史・本田克也 本論文ではまず、第1回、第2回の内容が軽く押さえられた後、今回は医学教育のゴールである一般医に到達するために必要な医学教育の内容と方法を設定するには、「医学体系」が不可欠であることを説いていくとされる。そして、「医学体系」と「医療実践論」、そして「医学教育論」が切り離せない関係を持っていることが医学教育の歴史を振り返ることで確認される。その上で、医学教育論の中で最も重要なのは、医師としての教育の出発点であり、その後のすべてのキャリアの基盤となる医学部教育のあり方だと説かれる。それは、そこで地域の第一線の医療機関での一般医としての実力を養成できなければ、専門分化してしまうその後の研修においては絶対に実現不可能となっていくし、専門医が医師としての基盤を欠落させた単なるテクニシャンへと堕してしまうからだと説かれる。そこで地域の第一線の医療機関での一般医に求められる実力とはどういうものかが確認されていく。それは端的には、多種多様な患者の病気を的確に診断し治療することであるのだが、そのためには、病名をつけ標準的とされる治療法を当てはめるために膨大な知識を正確に記憶するということではなくて、すべての病気に共通する一般論を学び取り、いなかる患者を目の前にしても、その一般論から筋道を通して考えていけるように、アタマの働きを技化することだと説かれる。そして、それが可能となる条件として、科学的医学体系に導かれた教育課程に学ぶ必要があるとして、まずは人間とは何かをふまえて人間の正常な生理構造を究明した常態論を学び、それを土台として病態論と治療論とを学ぶ必要があるとされる。最後に、医学教育におけるこうした文化遺産教育の全体像を示す図が示され、学ぶべき対象の全体像を一般的に把握する重要性が指摘されるのである。 この論文では、医学教育が成功するためには何が必要かが説かれている。別の視点でいえば、的確な診断と治療を行える実力のある医者を育てるには、どのような教育をしていく必要があるのかということである。この問題に関しては、簡単にまとめれば以下のように説かれている。 まず、あらゆる病気をとりあえず的確に診断し治療するためには、全ての病気に共通する一般論を学び取り、いかなる患者を目の前にしてもその一般論から筋道を通して考えていけるように、アタマの働きを技化することが必要だと説かれる。しかし、病気の一般論を知識として記憶しただけではダメで、病気を診断し治療するのに必要十分な医療の文化遺産を筋道を通して体系的に学ぶ必要があるとされる。ではその医師養成のための文化遺産とは何かといえば、直接的には病態論と治療論になるのだが、正常な生理構造が歪んで病気になるのであるし、また正常な生理構造を踏まえて歪んだ生理構造を回復させるのであるから、人間の正常な生理構造を究明した常態論を土台としてしっかりと習得する必要もあると説かれる。さらにこれらの学びの前提として、人間の認識が外界との相互浸透を規定し、そこから正常な生理構造が歪んでいくのが病気であるから、「人間とは何か」、「人間が認識的実在であるとはどういうことか」が分からなければならないとされる。さらにさらに、人間とは何かを学ぶためには、地球上で誕生した単細胞生命体が人間へと進化を遂げてきた過程、人間社会が生成発展して現代へと歴史を重ねてきた過程を含めて学ぶ一般教養教育が必要だと説かれるのである。 以上のように、実力のある医師を養成するためには、どのような学びが必要であるかについて、そのためには、そのためには、……と遡っていって、学びの真の土台、大本にまで言及されていくのである。このことは逆にいえば、生命の歴史と世界歴史を含めた一般教養を土台として、人間とは何か、人間が認識的実在であるとはどういうことかを把握し、この把握に基づいて人間の正常な生理構造を究明した常態論をまずは押さえ、それを踏まえて正常な生理構造が病む過程を究明した病態論と病んだ生理構造の回復過程を究明した治療論を学ぶことによって、病気の一般論を診断と治療の指針として使いこなすことが実力ある医師の養成のためには必要である、これこそが医学教育論の骨子である、医師の実力の「発展の論理構造」は以上のようなものである、ということである。 ここを端的にいえば、前々回に説いたように、「発展は前段階を実力と化すことによって可能となる」ということになろう。つまり、学びには順序があるのであって、医学教育に関していえば、いきなり病態論や治療論は学べるはずもなく、上に示したような一般教養教育から専門教育への体系性を有した教育を通して初めて、医師としての実力の土台が形成されていくということである。 ここで考えさせられるのは、連載第3回で説いた「例えば言語学を志して出立したとしても、弁証法や認識論の基本的な用語や概念に関しては、繰り返し繰り返し学んでいく必要があるのであって、このことをおろそかにしては決して言語学の創出など不可能なのだということを肝に銘じておく必要がある」ということである。すなわち、言語学でいえば、言語を創出し生活に役立てているのは人間であるから、まずは人間とは何かを認識的実在ということをキーワードにして徹底的に学ぶ必要があるし、地球上で誕生した単細胞生命体が如何にして人間にまで発展したのか、そして人間社会がどのようにして現代へと歴史を積み重ねてきたのかについてもしっかりと把握しておく必要がある。そのためには、人間の人間たる所以の認識について解明した認識論、発展の論理構造を明らかにした弁証法を基礎からみっちりと学び続ける必要があるのであって、そうした学びの過程をすっ飛ばして、いきなり概念とは何かとか、言語過程はどのようなものかとかいった、言語に直接かかわる高度な問題に突っ込んでいってはいけないのだということである。そうした問題を論じていくには、それなりの基礎の学びの繰り返しの上の繰り返しの過程が必要だということである。この論文で説かれている科学的医学体系に匹敵する科学的言語学体系を創出するためには、まだまだ道は長いが、人間とは何かといった基本的な問題からしっかりと像を描けるように研鑽していく必要あると感じた次第である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年03月17日 06時00分29秒
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