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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2017年10月20日
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カテゴリ:雑記
(2)瞬放

 さて、不完全燃焼のまま小学生を終えた私は、中学校では「部活」なるものが存在することを知ったのであった。どういうわけか、私の通っていた中学校には陸上部がなかった。まあ、その当時は(そして今も)陸上など(を観るのではなくてやること)には全く興味がなかったので、それはどうでもいいのだが、ここでどの部に入るか、迷っていたのであった。というのも、実は私は小学生時代、野球やサッカーのほかに、卓球もやっていたからであった。母親に連れて行ってもらって、隣町の卓球センターによく行って、弟相手に何時間も練習していたものだった。

 ここまで書いて、ふとした不安に襲われた。おそらく本稿は、(予定通り進めば)私が執筆する本ブログへの投稿としては最後の文章になる。それをこんなどうでもいい文章を綴ってしまっていていいものか、と思ったのである。しかしまあ、「徒然なるままに」だからこれでよしとしよう。

 そんなわけで、中学校の部活に関していえば、野球部、サッカー部、卓球部がまずは候補に挙がったわけである。そしてそれらは全て、見事に選択肢から除外されていくのである。まず野球部であるが、これは当時の伝統というか悪い風習で、なぜだか野球部は頭を丸刈りにしなければならなかった。帽子やヘルメットをかぶってやるという数少ないスポーツの1つであるから、別に髪の毛がどうであろうと、帽子やヘルメットで押さえつければ、そんなに気になることもないだろうのに、なぜか野球部=丸刈りなのである。これは無理だと早々に諦めてしまった。次にサッカー部であるが、これも小学校時代、下級生にレギュラーを取られてしまうという体たらくだったので、本格的にやったとしてもそうものにはならないだろうということで止めにしてしまった。最後に卓球部であるが、これも当時のイメージでいえばかなり暗い人間のやるスポーツだということになっていた。さらに問題なのは、部活見学で卓球部の練習を見に行ったとき、上級生と試合をさせてもらえるということでやってみたのだが、何とここで試合に勝ってしまったのである。こんな弱い集団の中にいるのは嫌だということが決定的な理由となって、卓球部もないということになってしまった。

 そこで結局何部に入ったかといえば、バスケ部であった。これは当時、漫画「スラムダンク」が週刊少年ジャンプに連載され始めた頃で、その影響でにわかバスケファンが急増したことも大きな要因であった。ご多分に漏れず、私もその流れでバスケットを始めたようなものである。

 それからはどういうわけか、1年生から試合に出させてもらい、練習も私ともう1人だけ別メニューという特別扱いだった。165㎝とたいして上背もなく、運動神経でいっても私なんかよりジャンプ力があったり足が早かったりする同級生は大勢いた。しかしなぜか、顧問の先生(この先生は後で分かったことだが、ダンクができた。中学校を卒業してから、皆の前でダンクができるかどうか賭けようとかいいだして、皆できない方に賭けたところ、ガツンと決めて本気で金を徴収していた)は、1年生の中で特に私を重用してくれたのだった。

 そんなこんなで3年生にもなると、チームのキャプテンを任されるようになった。当時の私はシューターで、ドリブルもパスも上手ではなかった(というか、ドリブルもパスもほとんど試みようとすらしていなかった)が、シュートだけはよく入ったものだった。試合でも、ボールをもらえば即シュートであった。かなり過去を美化しているようで恐縮だが、シュートが外れた記憶がないといっても過言ではないくらいよく入った。しかも、上背のなさやジャンプ力のなさを補うために、ボールをもらってからシュートまで(ボールをリリースするまで)のスピードを極限まで高めた独自のシュートを考案し実践していた。いわゆる普通のジャンプシュートというものは、ボールをもらいながらステップを踏んでジャンプ、そしてジャンプの最高到達点付近でボールをリリースするというシュートであるが、私の場合、ボールをもらいながらステップを踏み、即ジャンプして、同時にボールをリリースするという型を創り上げたのであった。ディフェンス側からすれば、チェックに行こうと思う間もなくシュートされているわけで、どうにも止めようがない。しかもこれがほぼ100%入るのである(私の記憶によれば)。残念ながら中学時代は、県大会の予選レベル(ブロック大会)で敗退してしまったのであるが、バスケの魅力に取りつかれた私は、高校では迷わずバスケ部に入ったのであった。というより、中学時代に憧れていたバスケ部の先輩が行ったという理由で高校を決めたくらいで、バスケ部が先にあって高校は後からついてきたという感じである。ちなみに、この中学最後の試合(負けた試合)で、私にトラウマができてしまった。ゲームの終盤、ゴール下のノーマークのシュートを外してしまったのである(中学時代にシュートを外した唯一の記憶かもしれない)。結局、このことが原因となってか、悪い流れのまま試合終了となって引退となってしまったのである。小学校時代、少年野球に(一人で)進んだ弟も、実は中学ではバスケ部に入っていたのであるが、この弟から散々いわれたものである。あのシュートが入っていればまだ試合は分からなかったと。それ以来、私は極度の「ゴール下のシュート恐怖症」に陥ってしまい、ゴール下のシュートは全く入る気がしなくなってしまったし、事実、よく外したものだった。しかしまさに今月、この病気はあることが原因で全く解消してしまった。

 さて、高校生になった私は早速、バスケ部の見学に行った。するとそこで、ある人物から声をかけられたのである。それは中学時代の最後の大会、すなわちブロック大会において、我々の地区で優勝し、県大会に進出したチームのエースであった。中学当時からバスケが上手くて有名だった彼から突然、「あっ、君知ってる」と指を指しながら声をかけられたのである。やはり私も(最後の試合の終盤のゴール下のごくごく簡単なシュートを除いて)相当程度シュートを決めまくっていたために、そうしたブロック大会のいわゆる「スター」にも顔を知られていたのだろう。彼は我々が3年生になったとき、バスケ部のキャプテンになる男であった。

 高校時代のバスケ部の思い出といえば、2年生からバスケ部に入ってきた同級生にポジションを奪われてしまったことが挙げられる。彼は中学時代(私とは別の中学校出身)、野球部のエースか何かだったのだが、高校に入ってからは野球をやめ、1年生の時は何の部活にも入っていなかったのである。それがどういうわけか、2年生になってからバスケ部に入部してきて、3年生が夏の大会で引退するとすぐにレギュラーになったのである。私にしても、まあやれば何でも球技はそこそこできた。小学校の時、少年サッカーではレギュラーが取れなかった(実は下級生がレギュラーになっていた)わけだが、これにはちゃんとした理由がある。実はその少年サッカーのチームは、県大会でも優勝するくらいのレベルの強豪で、そこから上がっていった中学校のサッカー部も、全国大会の常連というレベルであった。だから端的にいえば、私のサッカーが下手だったのではなくて、他のチームメイトのサッカーが異様に上手かったのである。その証拠に、高校2年生の時、我々のバスケ部とサッカー部がサッカーの試合をしたことがあったが、私の活躍で、何とサッカー部にサッカーで勝ってしまったのである。ちなみに、もう1人活躍したのが、その中学時代に野球部のエースで、高校2年生からバスケ部に入ってきた同級生であった(こいつは本当に何でもできた、野球、バスケ、サッカーに加え、ギターもものすごく上手で、音楽室にあったフォークギターで、Xの「Silent Jealousy」を笑いながら軽く引いていたのには驚いた。私が音楽の道(中学時代にギターを買ってもらっていた)に進まなかったのも、彼のギター演奏を聴いて、こんなやつがいたら勝てないと思ったからかもしれない)。





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最終更新日  2017年10月20日 06時00分07秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

政治の分野であろうと学問の分野であろうと、革命的な仕事にたずさわる人たちは道のないところを進んでいく。時にはほこりだらけや泥だらけの野原を横切り、あるいは沼地や密林をとおりぬけていく。あやまった方向へ行きかけて仲間に注意されることもあれば、つまずいて倒れたために傷をこしらえることもあろう。これらは大なり小なり、誰もがさけられないことである。真の革命家はそれをすこしも恐れなかった。われわれも恐れてはならない。ほこりだらけになったり、靴をよごしたり、傷を受けたりすることをいやがる者は、道に志すのをやめるがよい。

孤独を恐れ孤独を拒否してはならない。名誉ある孤独、誇るべき孤独のなかでたたかうとき、そこに訪れてくる味方との間にこそ、もっとも深くもっともかたいむすびつきと協力が生まれるであろう。また、一時の孤独をもおそれず、孤独の苦しみに耐える力を与えてくれるものは、自分のとらえたものが深い真実でありこの真実が万人のために奉仕するという確信であり、さらにこの真実を受けとって自分の正しさを理解し自分の味方になってくれる人間がかならずあらわれるにちがいないという確信である。

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