『日本近代文学の名作』読書会報告3――太宰治『富嶽百景』
本稿は、我が研究会が原則毎月実施している文学読書会の内容を報告するものである。基本的には、吉本隆明『日本近代文学の名作』で紹介されている作品を順番に読んでいき、作品の感想を交流したり、取り上げて議論したい箇所を読み込んだり、吉本が述べていることはどのようなことかを作品を通じて具体的に考えてみたりといったことを行っているのである。 前回の読書会報告の最後に述べたように、今回取り扱った作品は、太宰治『富嶽百景』である。これは『日本近代文学の名作』には収められていない作品である。ではなぜ、そうした作品を読んでいくことにしたのかの理由は、簡単には、前回扱った太宰『斜陽』に関して、吉本がたいして評価していないということが分かったからであり、一方で『富嶽百景』の方は大きく評価していたからである。 読んでみてまず感じたことは、この作品は太宰自身の体験を基にした随筆的小説なのであるが、太宰の人柄が非常に素直で温和であり、さらに多感でもありながら、少しお茶目な面もあるのではないかということである。どういうことかというと、たとえば、太宰が滞在していた茶屋の娘さんが、太宰の仕事が進まないことを心配してか、少し粗い口調で「ゆうべもあたし、二階へそつと様子を見に来たの、知つてる? お客さん、ふとん頭からかぶつて、寝てたぢやないか。」というようなことをいうのであるが、これに対して太宰は以下のように述べるのである。「私は、ありがたい事だと思つた。大袈裟な言ひかたをすれば、これは人間の生き抜く努力に対しての、純粋な声援である。なんの報酬も考へてゐない。私は、娘さんを、美しいと思つた。」 ここには、太宰の素直で温厚な心が表れていて、「純粋な声援」を「なんの報酬も考へ」ないで送る娘さんに対して「美しい」と感じる気持ちのありようが表現されていると思う。ともすれば、デカダン生活を送っていた太宰に対しては、心も廃退的になってしまっているのではないかと思っていたのであるが、実はそうではないということがこの反応から分かったのである。同じようなことは、この作品に登場する「新田」という青年も述べている。具体的には、「太宰さんは、ひどいデカダンで、それに、性格破産者だ、と佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、まさか、こんなまじめな、ちやんとしたお方だとは、思ひませんでした」というように、である。 太宰の人柄を表しているような場面はほかにもある。たとえば、太宰に結婚の話が持ち上がっていたのだが、太宰のふるさとからは助力が得られないことが分かったのである。そこで、太宰の先輩が色々と面倒を見てくれ、さらに結婚式もその先輩の家で出来ることになった。このことについて太宰は、「私は人の情に、少年の如く感奮してゐた」と述べているのである。ここにも太宰の素直で多感な人柄が表れているといえるだろう。 物語の最後の場面では、旅行者の若い二人の娘が富士をバックに写真を撮ってほしいと太宰に頼む場面がある。ここで太宰は、彼女たちの「屹つとまじめな顔」が「をかしくてならな」くなったため、「ふたりの姿をレンズから追放して、ただ富士山だけを、レンズ一ぱいにキャッチして」「パチリ」としたのである。そして、「はい、うつりました」とカメラを返すのである。心が荒みきっているのであれば、こんな茶目っ気のある対応はできないだろう。 さて、読書会では、こうした太宰の人柄について確認した後、前回読んだ『斜陽』と比べて、(体験に基づく随筆的小説だから当たり前と言えば当たり前なのだが、)「作り過ぎ」という感じが全くしないということも確認した。逆にいえば、この作品を読んだ後で『斜陽』を読むとすると、何かぎこちない不自然さ、感情がスーと入っていかない偽物感がするのではないかということである。吉本がこの『富嶽百景』を評価しているというのも、こうした点に基づいているのではないかと思う。 読書会ではもう1つ、大きなテーマを扱った。それは富士という1つの対象の見え方や評価のされ方が、作品の中で色々と変転していることに関してである。 例えば、物語の冒頭の部分では、歌川広重や谷文晁らの描く富士の頂上の角度がどれも実際よりも鋭角に描かれていることが紹介されている。これは頂角を鈍角に描いたのでは、「裾のひろがつてゐる割に、低い」という印象を鑑賞者に与えてしまい、見ても「そんなに驚嘆しない」から鋭角に描いたのではないかということを話し合った。また、「東京の、アパートの窓から見る富士は、くるしい」という部分については、「三年まへの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた」その夜に、慄然と立つ立派な富士がハッキリと見えた記憶が強烈であったため、アパートの窓から富士を見るにつれ、その時の「途方に暮れた」感情が思い出され、思わず胸が「くるし」くなるのではないか、さらにいえば、富士の立派なあり方に比べて、自らのみじめさが際立ってしまうことも「くるしい」気持ちになる大きな要因ではないか、というような意見も出された(ちなみに、少し調べてみた結果、「或る人から、意外の事実を打ち明けられ」たというのは、どうやら、当時、入籍はしていないものの一緒に生活していた女性が、不貞行為をしていることを知ったことを指すようである)。ほかにも、御坂峠の天下茶屋からみた富士は、富士三景の一つに数えられるにもかかわらず、「好かないばかりか、軽蔑さへした」、「これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ」と馬鹿にされていたり、青年たちと楽しく飲んだ晩の富士は見ていて気分がよくなると語られていたり、物語の最後には甲府からみた「三分の一ほど顔を出してゐる」富士を「酸漿」(ホオズキ)に似ているとして、かわいらしいと感じた気持ちが表されていたり、諸々の富士の表情を伝えているのである。これらは端的にいえば、富士を見る人の心が富士に反映して、様々な感情を引き起こすのだといえるだろうということになった。 こうしたことは、認識論の用語でいえば、「問いかけ的反映」ということになる。「問いかけ的反映」とは、簡単に言えば、同じものを見たとしても、違って見えてくる、という論理である。人間は一人一人経験してきたことが違うし、同じ人間であってもその時々の気分や気持ちは違う。そうした経験や気分、気持ちによって、同じものが違って見えてくるのである。『富嶽百景』においては、同じ富士という対象について、太宰の諸々の心のあり方に応じて、矛盾した感情(胸が苦しくなることがある一方で、気分がよくなることもあるなど)が語られているが、これが「問いかけ的反映」ということの中身である。 さて、そんな富士の見え方に関して最も議論が深められたのは、「富士には月見草がよく似合ふ」とはどういうことかという問題についてであった。この問題については、立派な富士に対峙しても微塵も揺るがず、健気にすくっと立っている月見草の姿が富士と似ているから、このように述べられたのではないかという意見がまずはあった。さらに突っ込んで検討した結果、月見草と並べてみることによって富士も立派だということになるのであって、単に富士だけを見て「あー、立派だ」などというのは、芝居の書割を見た感想と同じで俗っぽい捉え方だ、月見草を添えてみて初めて富士の素晴らしさが分かるということではないか、という議論になった。つまり、一般的な富士の捉え方は芝居の書割を見てすごいすごいといっているレベルであって、そうした世間一般の捉え方とは違う富士の良さが、月見草と一緒に眺めることで分かってくるのだということだろうということになった。 以上で議論は終了し、次回は柳田国男「海上の道」を扱うこととして読書会を終えた。(了)