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解れては二度と戻れぬ絆と謂ふ心の糸よ吾は孤独なり 古い話をしようと思う。 友達だと思っていた人のことだ。 今は友達だとは思えないかもしれない。Yさんは高校時代からの友人で、同じサークルで活動をしていた。Oと私とYさんの3人がセットで絵を書いて活動をしていたのだけれど、Yさんは突然私たちの約束をことごとく破るようになってしまった。 Yさんの都合にあわせて集まる場所や曜日を変更した。 Yさんの都合にあわせて活動の内容を変更した。 ぜったい大丈夫だから、そう笑って。笑ったのに、来ない日があった。 たくさんたくさんあった。 仕事をしていた、とうそをついて、でも同じ職場に友達が通っていたからYさんが早々と帰宅したのをもう知っていた。 私たちは無理ならサークルを続けることないよ。友達をやめるわけじゃないし、私たちももう無理をできない。といったが、それでも「続ける」と約束をして。 そうしてまた、約束を破った。 最後の話し合いの時、「1週間待って」といった。でもその1週間は来なかった。 私たちのこととほかの友達のことはまったく関係ないから、他の友人がYさんを結婚式に呼ぶ、といっても私たちは反対もしなかったし、発起人をまかされることが多かったから、どうしてもいやでもYさんと顔をあわせる。何もなかったように笑って、久しぶりというYさん。私たちは友達の幸せを邪魔するわけにいかないから、無理をして笑顔をつくらなければいけない。 しかしYさんは、そうやって結婚式に呼んでくれた友人たちや、他にかばってくれた友人たちをことごとく裏切ってしまった。 マルチ商法にはまって、友達をだましてそれに誘ったり無理に連れて行ったり押しかけたり。 それから15年が過ぎた去年、それまで毎年彼女から年賀葉書がきていたが、その年の葉書は何時もと違い、後悔している、という文面が書かれていた。 いくら後悔しても私たちの15年は長すぎた。 私はもうお互い忘れてもいいはずだ、と返事をした。今年は葉書はこなかった。それでいいと、私は思った。 許せないとか許すとかいうきもちはもう通り過ぎてしまった。かわいそうな人だったのかもしれない、と思ってしまう自分がいるとき、それはきっと友達に対しておもう気持ちではなかった。 再び仲良くなりましょう、といわれて仲良くなるにはタイミングがいる。私の小学校以来の友人二人とは一度大きな仲たがいをした。でもお互いがそれをすごくいたい思いをして乗り越えた。かけがえのない友人二人。 そういう努力をしなかった、しようなどと思えなかった、彼女。私はずっと待ちぼうけのまま、ようやくさようならをいうタイミングを得たのだと思う。 願わくば。 彼女のこれからの人生、本当に心を許せて、本当に気持ちを通わせて、本当に相手に思いやりを与えられる、そんな友人を見つけて欲しいと思う。私では無理なのだ。 私たちは大きくすれ違ってしまったのだ。 同じ木の葉だったのだとしても、落ちた大地が違ってしまえば、同じ土にはなれない。 さようなら、Yさん。 そうして、同じようにさようならを心に決意しなくてはいけないひとがいる。一方的にさようならをいわれて、私は何もいえなくなってしまった。 そのかつて友人だった人のアドレスを消す気持ちにようやくなれた。 その友人もわたしも、やっぱり大きく何かがずれたのだろう。私のせいではないけれど、私が悪いわけではなかったけれど、そのとき私にそういわなければいけなかった、私を傷つけても守りたいものがあったのだというのなら、それは仕方がないと思う。 彼女にとっても、心を許せる友人がこの先生まれてくれればいいと思う。 私はそうして、遠慮なく忘れる残酷を得ようと思う。 そうすることが、私にも、お互いにもきっといいことのような気がする。再び戻ろうという気持ちは片一方だけではもたないのだ。きっと。 それでももしも縁があるなら、必ず何らかの形で再び繋がるとは思う。でも、私からはつなげようとは思わない。今は。 かなしいね。つらいね。 でも、さようならを言われるの言うのも、つらいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月07日 22時28分07秒
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