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とりあえず・・・日記(?)お間抜けかあさんyukidarumaの         バイクな(?)日記

とりあえず・・・日記(?)お間抜けかあさんyukidarumaの         バイクな(?)日記

辛い事もあるよね(;;)

ほし


今でこそ、ゆうのいる生活が当たり前で、楽しいものにもなっているけれど、小さい頃は本当に辛いことも多かった。

まず、やっぱり自閉症って解った時。でも、実は解った時は意外と淡々としていたんだよね。なんでだろ。自分で気が付いて予想できた事だったからかな?自分で療育機関を探して、自閉症専門のお医者さんにも行って、「この子、自閉ですよね」と聞いちゃったもんね。お医者さんは「・・・うーん、そうだねぇ・・・」とかなり言い難そうだった。「先生、平気ですよ、そうですよね」と聞いてようやく「そうだね、自閉症だね」という返事をもらった。当時2歳。

あまりにもあっけらかんとしていた私。辛い、とかそんな事全く考えなかった。とにかく一日でも早く療育を受けさせたい、少しでも社会生活が送れるようにさせたい、と療育施設へ親子でせっせと通う。

でも、今から思うとやっぱり辛かったのだろうな。

最初に泣いたのは相方、ゆうのチチと話した時。
相方は気難しいところがあり、はっきり言って恐い。考えてみれば結婚以来ハラを割って話した事なんてなかった。
それが、目に入れても痛くない三男坊が自閉症と診断された・・・
何時間、相方と話したろう。そして泣いて、泣いて、涙はもう終わりにしよう、自分たちのできることを出来る限りこの子にしてやろう、って決めた。

それからはもう、頑張り通しだった。

そんなある日、小さい頃からの友人からの電話。
私の様子に気がついたのか「何かあった?」
もう駄目、涙が流れて、流れて仕方がなかった。
彼女は今でも私の大切な友人であり、理解者だ。

療育施設(母子通園施設だった)に通うようになり、そこの園長先生に「この子は(障害が)重いよ、お母さん、覚悟して、頑張りなさい」と言われた。同時に一緒に連れていった兄を見て「この子のほうが心配だよ」と言われた。ハラが立った。でも、数年後、その意味がわかった(兄はLDでADHD)

施設に通う道、パニックがひどく辿りつけない。
駅のホームだろうが、道路の真ん中だろうが、水溜りだろうが、自分が気に入らないことがあれば倒れこんでしまうのだ。
哀しくて、辛くて、ハラが立った。その手を持って引き起こし、少し歩いてはまた倒れこむ。体力&忍耐比べ。

ある日、もう、いいや、って思った。
「お母さんはゆうが倒れても何も困らない。水に濡れてもゆうが困るだけだもんね」と言って黙って見ていた(もちろん安全確認済みの所で)
ゆうは「あれ?」って拍子抜けしたみたい。
少しづつ、ハハもゆうも変わっていった。子供だけに変化を求めちゃいけないんだね。

バス乗る。ゆう 騒ぐ、泣く。ハハ 言い聞かす、バス引き摺り下ろす。
そんな姿を見て子育ての先輩風の方々は「そんなに厳しくしなくても良いのに」と言われる。辛い。子供を虐めている鬼の母に見えたんだろう。

ある日、療育手帳(愛の手帳)の申請のために写真が必要で、証明写真を撮ってくれる所に行く。椅子には座れた。が、「この子視線があわなくて、仕事にならないよ、お金返すから帰って」と言われた。
辛かった。それまでで一番辛かった。「それでも良いですから撮って下さい」と頼んだのに「ダメダメ」と・・・。
視線のあわないのは自閉症の特徴。
否定されたという思い。帰り道、泣きながら帰っていたら友達に会った。訳を話したら、その日の夕方家に「写真とろーーー」と訪ねてきた。
写真を撮ってくれた。その写真が手帳に張られた。

まだまだ辛いこともあったけれど、辛いことの裏返しには良いこともあるんだな、ってこの文章を書きながら思う。

いろんな人に支えられて、ここまでのゆうと私がある。



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