魔境への誘い~羽衣音のどこでもドア~「クリスマスプレゼント、羽衣音ちゃんは何が欲しいの?」「あのね、どこでもドア!」 なんて答えた子供の頃と、今でも羽衣音は変わっていない。 どこでもドアがあれば、遠恋の彼と別れるコトだってなかった。 あと少しでつかめた幸せ。 するりと逃げていったそれが、今もチクチクと羽衣音の心を痛めている。 どこでもドアがあれば。 そう何度も思った。 サッカーW杯ドイツ大会。 ドイツ代表としてのオリバー・カーンの最後の試合。 ワールドベースボールも。 高校野球、決勝再試合の早実対駒大苫小牧戦。 日ハムも。札幌ドーム行きたかったし、パレードも見たかった。 「違うでしょう。」 声が聞こえた。 そう、違う。 それは羽衣音自身が一番よく判っている。 どこでもドアが無くったって行ける場所。行きたい場所。 広尾のサンタランドだって行ってないし、池田のドリカムショップも。 映画だって観たい観たいって言いながら見逃した。 遠恋だってそう。 どこでもドアがあったって無くったって、うまくいかない時は何したってだめなんだよ。 「判ってるんだ。」 また声が聞こえた。 そう。 何で4年前の日韓W杯でオリバー・カーンのファンになった時からドイツ語勉強してチケット取ってドイツに行かなかったんだろう。 次はドイツ大会だって判ってたし、カーンの年令を考えたら代表引退だって充分予測出来た。 何一つ努力しないで4年も無駄にしたんだよ。 「じゃあ、努力したら。」 努力したら叶えられるの? 努力しても努力しても叶えられなかったじゃない。 羽衣音が1番欲しいって願ったモノは、もう2度と手に入らないんだよ! そう叫んで、ようやくその声の主を見た。 きょとんとしたその黄色い瞳の声の主は、猫だった。 「にゃお」 今度は猫の言葉で一言啼くと、玄関先に置いてあるダンボールの中に飛び込んだ。 今考えると、何故そんなコトをしたのかと思う。 その時の羽衣音は不思議とも思わずに、猫の「おいで」の言葉に誘われるまま、ダンボールに飛び込んでみた。 ダンボールの中は引いてあった古い青いジャージそのままの世界で、まるで宇宙空間のようなトコロで慌てて手足をバタつかせた。 「こにゃん、待ってよ、こにゃん!」 目の前をふわふわと2本足でかけて行く茶色いしましま猫に叫ぶ。 こにゃんこだから「こにゃん」と名付けたこの猫は今ではすっかり大きくなってしまった。 その大人びた瞳が羽衣音を見る。 「魔境トンネルへようこそ。」 こにゃんは大げさに腰を折って礼をした。 「…魔境?…トンネル?」 「ここは猫族のどこでもドア。 かの有名な猫型ロボットドラえもんのどこでもドアを猫族独自の魔法でアレンジして作られたんだ。」 「どこでもドア…?」 半信半疑でキーワードのようなその言葉を呟く。 「そう、だからどこにでも行けるよ。 行きたかったトコロ。 行けなかったトコロ。 さあ、どこに行きたいの?」 行きたかったトコロ? 行けなかったトコロ? ドイツ?アメリカ?甲子園?札幌?それとも彼のトコロ? 違う。 「違うでしょう。」 何処へ行っても、羽衣音は何も変わらない。 「判ってるんだ。」 どうしたら変われるの。 「じゃあ、努力したら。」 こにゃんは真っ直ぐに羽衣音の瞳を見据えた。 「努力しても叶えられなかったから努力することをやめるの? そしたら叶えられるコトだって叶えられなくなるよ。」 こにゃんが笑った。 その瞳で、その口で、優しく羽衣音に微笑みかけた。 「羽衣音には羽衣音のどこでもドアがあるよ。 開けてみなよ。 自分の力でさ。」 ぽんぽんとこにゃんは羽衣音の頭を撫でた。 それは、よく羽衣音がこにゃんにする撫で方だった。 「それに…覚えていて。 猫はこの魔境トンネルでどこにでも行ける。 でもこにゃんは羽衣音の側にいるよ。 羽衣音の側にいたいから、だからずっとここにいるよ。 忘れないで。」 気が付くと、羽衣音は玄関先のダンボールの前にしゃがんでいた。 その手にはこにゃんの頭があって、こにゃんは勝手に頭をすりつけていた。 「にゃおん」 そう、羽衣音には羽衣音のどこでもドアがある。 私は、そのドアを開こう。 ごろごろと喉をならすこにゃんにそっと「ありがとう」と言った。 それから…。 2006年8月23日 私はブログを立ち上げた。 「灰色猫のはいねの生活」 これが、羽衣音のどこでもドア、魔境トンネルとなる。 |