旧津島上街道(五条川右岸堤から薬師寺まで)
旧津島上街道(五条川右岸堤から薬師寺まで) 法界門橋を渡り終え、そのまま津島上街道は津島方面に向かいますが、橋を渡り終えたら左折して10mぐらい南下しますと堤防を降りる坂道があります。 車1台がやっと通れる裏路地のような細道で、現在は法界門橋西信号交差点北進右折車両が信号待ちを嫌って抜け道に利用していますが、かつての津島上街道です。津島上街道は名古屋と津島を結ぶ主要街道ですし、東海道の脇街道として佐屋街道が整備されるまでは主要街道だったはずですがその狭さに驚きます。主要街道は現在で言えば国道、それも国道1号線に代表される一桁番号の国道クラスの主要街道のはずです。「の~民」が、昭和30年代の後半に国道1号線を見たとき、あまりにもの車線広さ(2車線でしたので、交互通行をする必要がなかったからです。)と、通過車両の多さ(車が常に視界の中にある状態の道路でした。)に驚いた記憶があります。その頃の「の~民」の回りの交通事情は、40年代の前半に青年団に入っていた当時、村民運動会で字別(集落別)リレーの練習をするため、郡道(海部郡が設置した道路の意味だと思います)を集落の練習会場にしていたような時代でした。しかし、かつての主要街道(鎌倉時代の主要街道のことです)が、道路幅の基準が一間(約1・8m)だと知って納得しました。考えてみれば「の~民」たち現代人は、現在でこそ車幅1.5~2mぐらいの車で移動していますが、かつて街道を利用していたのは人か馬、若しくは大八車ぐらいしか通らなかったことを考えれば、一間幅の道路で十分ですよね。旧津島街道を抜け県道給父西枇杷島線にでると薬師寺はもうすぐです。