2006/03/29(水)13:36
35. 柳沢誕生日パーティー
35. 柳沢誕生日パーティー
10月9日、柳沢の誕生日パーティーが夜、三栄荘で行われた。
「此れで柳沢君も、19の仲間入りね。」
乾杯の後、世樹子が云った。
「感想は…?」
「今年も秋が来て、又一つ齢を取った…って処だな。」
「何か酷く老けてしまった様な云い方ね…。」
ケーキを切りながら、香織が云った。
「19って言えば、もう若くは無いさ。」
私は云った。
「どうして…?
あなたは色々と経験豊富だから、そうでしょうけど…。」
「男の人生は、20歳から始まるって、聞いたぜ。」
ヒロシが云った。
「あら、男だけ?
女は…?」
フー子が訊いた。
「女は20歳で終わるのさ。」
「…。」
ヒロシのケーキは小さかった。
「シャンペンもう無いの?」
「無いよ。
シャンペンは乾杯用さ。
此れからは、水割を呑むんだ。」
「私、水割苦手なのよね…。
誰かに特製のを呑まされて以来…。」
「でも、俺達が呑んだのは、シャンペンじゃないぜ。」
「…?」
「スパークリング・ワインさ。」
「だから、シャンペンじゃないの。」
「違うよ。
シャンペンは、スパークリング・ワインの中のシャンパーニュ地方で造られた物だけを云うんだ。
俺達の呑んだのは、日本で造られたスパークリング・ワインさ。」
「後4年経って、23になったら、皆、どうなってるのかしら…?」
世樹子が云った。
「多分、大学を卒業してるだろうな…。」
柳沢が云った。
「私達は、社会人3年目よ。」
香織が云った。
「そうか…。
来年で、もう卒業なんだ。
可哀相に…。」
「そうよ。
あなた達が温々と未だ遊んでいる時に、私達は冷たく厳しい世間の風に、曝されているんだわ…。
フー子なんて一番可哀相よ。
美容学校は、1年で卒業だもの…。」
「取り合えず、サラリーマンだけには、なっていたく無いな…。」
ヒロシが云った。
「私は、もう一人前の美容師になってるわ。」
フー子が云った。
「じゃあ、俺はレコード・デビューして、ミュージシャンになってるだろう。
鉄兵ちゃんも、そうだよな。」
「あら、鉄兵は在学中にデビューするんでしょ?」
「仕方無い…。
音楽ディレクターをやってる俺が、二人の面倒を見てやるか…。」
「あれ、柳沢君は小説家になってお金を貯めて、ロスに行くんじゃなかったの…?」
「金を貯める為に、副業もやるんだよ…。」
「香織ちゃんは、女優ね…。」
「世樹子は…?」
「まさか、お嫁さんになってるぅ、なんて云うんじゃねえだろうな…?」
「云わないわよ。
私は…、平凡なOLになってると思うわ…。」
我々の未来は、未だ、きらめきの中に在った。
「ところで世樹子、あなたさっきから何呑んでるの?」
「ああ!
未だシャンペン有るんじゃない!
狡いわよ世樹子。
隠して、一人だけで呑んでるなんて…。」
「だって、美味しいんだもの。
此れ…。」
「私、確か未だもう1本有ったと、思ってたのよね。
シャ…、発泡ワインが…。」
「そんな物が、そんなに美味いかい…?
酒としては、ウィスキーの方が絶対美味いと思うが…。」
残り少ない、仄かに色付いて猶透明なワインを、彼女達は奪い合った。
「でも私、ずっといつまでも、みんなとこうして居れたら好いなって思うの…。」
世樹子が云った。
「矢っぱ、学生が最高だよな…。」
柳沢が云った。
「何か夢の無い云い方ね…。
サラリーマンになる事にしたの?」
香織が云った。
「他に何が有るんだい?
結局、俺達には其の道しかないさ。」
「意外と確りしてるのね。
其の気になれば、どんな道へだって進める筈よ。」
「だけど、自由を掴む事は出来ないよ。
俺達は自由人になりたいのさ。」
「唯、いつも夢が遠過ぎるんだよな…。」
ヒロシが云った。
「遠過ぎるから、夢って言うんじゃない?」
フー子が云った。
「遠過ぎて、急度いつか、其れを追い続ける事に疲れ果てて終うだろうな…。」
「そしたら、又、三栄荘に帰って来れば好い…。」
「そうよ。
そして、みんなで又お酒を呑みましょ…。」
夢見る頃の長い夜は、未だ始まった許であった。
私は、空になったウィスキーのボトルに煙草の煙を吹き入れ、蓋をするとボトルを股に挟んで、其れを両手で擦った。
「さあ、電気を消して呉れ。」
部屋を暗くしてから、蓋を開け、ライターの火をボトルの口に差し伸べた。
「わあ、綺麗…。」
「流石、合コン許やってるだけ有って、色んな事知ってるわね…。」
午前1時頃、フー子とヒロシは眠ってしまった。
「ヒロシは毎度の事だけど、何でフー子迄、寝ちゃってるんだ?」
私は云った。
「フー子はね、此処の処忙しかったのや、色々有って疲れてるのよ。」
「色々、何が有ったんだい?」
「学校の事や、彼の事で悩んでるみたいよ…。」
「又、彼氏と喧嘩したの?」
「又って…、まあ、そうだけど…。
でも今度のは、問題が深いらしいわ…。」
「好いなぁ、みんな。
悩みが有って…。」
「あなたは、全然無いの?」
「否、1つだけ有る。
現在俺の唯一の悩みは、果たして我々は性の知識が無くても、セックスが出来るか、と言う事だ。」
「…。」
「若し俺達が、セックスと言う行為を誰からも教えられず、全く知らなかった場合、其れが出来るかって事さ。
動物は教えられなくても、本能でセックスをするだろう?
人間は本能で其れが出来るのだろうか…?」
「確かに其れは、大いなる問題だな…。」
「人間は知らなかったら、出来ないんじゃないの?」
「そうだな…。
じゃあさ、人類の初期の頃、其の頃も人間は知識が無ければ、セックスが出来なかったのかな?
当時は、性教育なんてものは、無かったに違いないが…。」
「原始時代には、人間は本能でセックスが出来たんじゃないか?」
「じゃあ、いつから人間は、本能で出来なくなったんだろう?」
「聴いた事無いけど、恐らく文明の発生以後だろうな…。
人間の脳が発達して、文明人になった時、セックスの本能は消滅したんだろう…。」
「人間は色んな事を知って行く内に、知らなければ何も出来なくなってしまったんだ…。」
「知識は本能を駆逐する、か…。」
「でも、其れが悩みなの…?」
「ああ。
俺を悩ます深遠なる謎だ…。」
「誰にでも、子供の頃不思議に思いながら、ずっと心にしまっていた小さな疑問が1つは有るものさ…。」
私は云った。
「眼を閉じて、瞼の裏をじっと視るんだ。
すると、透き通った菌糸の様なものが視える。
其れは初めは止まってるんだけど、よく視ようと眼で追うと、スーッと移動して視界から消えるんだ。」
「本当だ…。
視える…。」
「視えたわ…。
あ、逃げちゃった…。」
「…戻って来たわよ。」
「更に云うと、其れは眼を開けている時にも、視えてるんだぜ。」
「此れ…、一体何なの…?」
「俺は子供の頃、意識を持ってるのは自分だけかも知れないって、急に思った事が有った…。」
柳沢が云った。
「何て云うか…、未来の行動を自らの意志で変えられるのは自分だけで、俺以外の人間、生物、更に宇宙全体は、決められたパターンに従って実は動いているんじゃないか、と思ったんだ。」
「其れに似た様な事、思った事有るわ…。」
香織が云った。
「例えば、自分が赤だと思ってる色が、他人には違う色に視えているのじゃないかって…。」
「其れは云えるよな…。
自分も他人も其の色を赤だと云うけど、頭に描いている色が他人と同じかどうかは、解らないもの。」
「他人の心は、決して覗く事が出来ないって事かしら…?」
「と言うより、心は結局一人ぼっちって事だろう…。」
「矢っ張り、人間て本来孤独なのね…。」
「そうさ。
意識の世界では、いつも人は孤独なんだ。
心の中には1人しか住めない…。」
「後1時間もすれば、夜が明けるな…。」
私は時計を視て云った。
「みんなで話してると、いつも気付かない中にこんな時間になってるわね…。」
世樹子が云った。
「全然眠くならないから、不思議よ…。」
「明日はテニス、するんでしょ?」
香織が云った。
「そうだ…。
柳沢、哲学堂のコート、何時から入ってるの?」
「1時から、2時間。」
「なら、昼迄寝てられるな。
俺は12時に起こしてね。」
「フー子はテニス部だったんだろ?
フー子と組んだ者の勝ちだな…。」
「どうせ、私達は足を引っ張るわよ…。」
フー子とヒロシはよく眠っていた。
「云い忘れてたけど…、柳沢、誕生日おめでとう。」
「誕生日は昨日だぞ。」
「もう、電気消す…?」
「うん、好いよ。
寝るべ…。」
我々は毛布だけを被って、其の場で雑魚寝を始めた。
〈三五、柳沢誕生日パーティー〉