209468 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

☆ゆめママ日記☆

☆ゆめママ日記☆

ゆめ妊娠後期

   妊娠後期

 引っ越したり、産前最後の美容院へ行ったりサーカスを観に行ったり、9ヶ月までは結構外出していた。しかしおなかも重くなり、出かけるのもしんどくなってきた。この頃の私のおなかの赤ちゃんの胎児名は「珊瑚ちゃん」。珊瑚ちゃんは、標準の範囲内だがやや大きめと言われていた。胎児の大きさは頭蓋骨と大腿骨の長さで測るのだが、私の珊瑚ちゃんはほんの1週分ほど大きめなのだそうだ。その上「少し頭が下がり気味」と言われ「もしかしたら早めに産まれてくるかな?」と勝手に一人で思っていた。
 そして季節はもう秋。もう秋!振り返るとこの8ヶ月間は驚くほど早かった。色々な事がありすぎた。胎動はめっきり激しさを増し、痛いときもあるくらいだ。あせも(湿疹?)は涼しくなると共に嘘のように消え、痕も残っていない。
 ほんの少しだけおっぱいマッサージを始めた。赤ん坊が母乳を吸いやすいように理想的な乳頭の形を作るのだ。6ヶ月頃から時々はしてみたのだが、妊婦雑誌で真剣にやり方を読みながら自分で自分の乳頭や乳房を揉んだりさすったりするのは、決して気分の良いものではない。気分が乗らないのでほとんどやめていた。7ヶ月頃から時々乳頭から母乳のような分泌液がにじむようになっていた。黄色っぽい液が一日に一液くらいパジャマに染みるのだ。これまた気持ちが悪い。けれどできるだけ母乳で育てたかったので、おっぱいの出を良くする為に少しずつお風呂で触ってみたりするようになった。
 二週間に一回の健診で赤ちゃんのエコー写真を見るのが楽しみな毎日。I先生も「おそらく女の子。」と認めた。おなかがどんどん大きくなって、びっくりしたのはおへそである。おなかが大きくなると共におへそが出っ張ってくるのだ。それはもう面白いくらいに。こうして自分の体の変化を楽しんでいるうちに、気付けば体重が12kgも増えていた。妊婦の理想的とされる増加体重は9kg。産まれる時の赤ん坊が約3kgなのだから、羊水、胎盤、皮下脂肪を含めてそのくらいがベストなのである。10kgは太らないようにしたかったが特に食事や運動に気を付けていなかったせいでこうなってしまった。あまり産道に脂肪が付きすぎると、出産時に赤ん坊が通りにくく、難産になるのだ。先生に注意される事もなかったのだが、ある日不安になって「今コレ太りすぎですよね?」と確認したところ「そうやねえ・・ちょっと増えすぎやねえ。」とI先生もS先生も言っておられました。



    母親教室

 10月になり、妊娠10ヶ月目、臨月に入った。I先生にお別れを言い、T病院での健診も一週間に一回になった。I先生は最後の日、
「6ヶ月健診来てくださいね。元気な赤ちゃん見せてな!がんばって!」
と言ってくれた。せっかく話せるようになってきたと思った頃の転院は少しさみしかった。しかしT病院のS先生はなかなか丁寧に診察してくれるので質問などもしやすかった。
 10ヶ月に入ってすぐ、初めて病院の母親教室へ行った。本や雑誌でかなり勉強して、医師に質問する事もほとんど必要ない程の自称「妊娠博士」になっていた私は、その教室でも知っている事ばかりだった。具体的に呼吸法をするでもなく、後期の教室だったのでお産の流れの説明が中心だった。しかしそこでT病院は母子同室の4日間入院と知った。4日・・・?短くないかい?別に短いのが嫌な訳ではないが、普通日本では7日と思っていたので少し驚いた。まあでも外国はお産を終えたその日にシャワーだけ浴びて帰ったりするらしいので、何とかなるだろう。
 その日の教室には約25人の妊婦さんがいた。一人ずつ簡単な自己紹介をしたのだが、だいたい9ヶ月に入ったばかりの人が多くて、臨月に入っていたのは私を含めて4人だった。「二人目です。」と言っていた人も何人かいた。臨月の私よりずっと大きなおなかをしている人も多かった。友達は出来なかったものの、病棟見学に行けたのは大きな収穫だった。陣痛室、分娩室は中には入れなかったものの、入院部屋やNICUを覗くことが出来た。何より興奮したのが新生児室。母子同室といっても一日目は新生児室にいる。もちろん疲れてゆっくり眠りたい時などは預ける事もできる。なので15人くらいの新生児が並んでいた。あまりの小ささにかなりびっくりした。頭なんて玉ネギ程度。思えば生まれて一週間もたっていない赤ん坊を見たのは弟が生まれた2才の時だけだった。もちろん覚えていない。「赤ちゃん」というとだいたい外で見る2ヶ月以上の赤ん坊の大きさを想像していたらしく、本当に小さく思えた。でも・・・アレが産道を通ると思うと・・・。やっぱり大きいかも。ちょうど廊下に、生まれて8時間ほどしかたっていない赤ちゃんと、その両親が出ていた。真近で見ることが出来てかわいかった。母性本能爆発。帰宅途中も忘れることができなかった。
 でも産後すぐのお母さんのおなかは出たままだったのは少しショックだった。やっぱりそんなすぐには引っ込まないのか・・・。

    カウントダウン

 もう主人や母以外の人と出かける事はなくなり、ずっと家にいた。実家も近く、産後しばらくは実家で育児トレーニングをするつもりなので、ベビーベッドを設置したりベビー用品を買いあさる日々だった。大きめと言われた珊瑚ちゃんは、後半のびず、どちらかというと小さいくらいの測定値が出ていた。甘いものがやめられず、私の体重は最終的には15kg近く増えてしまった。
 おなかがひんぱんに張るようになり、その度に「陣痛!?」とドキドキする毎日。こんな状態でいざ陣痛が来てわかるのだろうか。一日本を読んだり寝て過ごした。時々我が家からすぐ近くの実家の犬の散歩に行くようにしたが、早く産むために一生懸命あるく、というような事はしなかった。よく階段を上り下りすると赤ちゃんが下りてくると言うが、病院の先生は「動いたからと言って、早く産まれる事もない。意識して動いていなくても、産まれる時は産まれるよ。」と言っていたので、ダルがりの私は後者、先生の意見に賛成。1日20分程度の妊婦体操だけして、一生のうちで一番かも知れないという程、何もせずにのんびり過ごした。
 妊娠して膀胱が圧迫されるため、ただでさえ近くなっていた尿がもっと近くなり、弁も、便秘気味だった初期、中期に比べると信じられない程出るようになった。胎動はいつまでも結構激しく続いており、NST(ノンストレステスト)という胎動と陣痛を見る装置でも「活発な赤ちゃんですね。」と言われていた。
 最後まで決まらなかった名前を考えたりしながら、ついにこの10ヶ月の妊婦生活も最終段階。勝手に「早く産まれるかな。」と思っていたが、内診のたびに「頭が下がってきてるね。」とは言われるものの「子宮口の硬さからいくと予定日いっぱいはかかるでしょう。」と言われた。


   予定日

 秋らしくなってきて、ついに予定日。しかし何の兆候も気配もない。初産は遅れることが多いし、予定日ぴったりに産まれてくる赤ちゃんは4%というくらいだから、この日には産まれるわけがないと思っていた。しかし、親戚や友人から、
「どう?生まれた?」とメールや電話がある度に、
「まだ。」とか「まだまだ。」とか言っていると「あーあ、予定日過ぎちゃった」と意味のわからない残念な気持ちになった。
 でもこの日主人に京都まで車で連れて行ってもらい、紅葉狩りなどして、ステーキを食べた頃には、
「この子はまだおなかの中にいたいんだ。」
と思えるようになっていた。いたいならいてくれたらいい。そんなに居心地がいいのなら、思う存分楽しんでくれ。少々大きくなったってママは頑張って産んでやる。



© Rakuten Group, Inc.