2015/11/01(日)22:28
広島 平和記念公園と原爆ドーム
9月の末
JRのツアーで宮島・厳島神社を訪れ 翌日はフリータイム
錦帯橋や呉の大和ミュージアムに行ってみたかったけど
せっかく広島に来たんだから
一度は見ておかなくちゃ・・・と
訪れたのは
広島平和記念資料館
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分
人類史上初めての原子爆弾が投下され
一瞬にして多くの命が失われた悲惨な出来事は
資料の中でしか想像できないものでした
広島に投下されたのと同じ原子爆弾
原爆の効果を正確に測定できるように
直径3マイル(約4.8キロメートル)以上の市街地を持つ都市の中から投下目標を選び
広島・小倉・新潟・長崎の中から広島を第1目標としたのは
唯一 連合国軍の捕虜収容所がないと思っていたためだとか
他にも いくつかの戦争終結手段はあったのに
原爆開発に使った膨大な経費を無駄だったと思われないように
正当化するためにも
日本への原爆投下は必要だったようです
ガラス片が突き刺さった指から生えてきた異形の爪
白壁に残った黒い雨の跡
今更ながら 原爆の恐ろしさを感じました
平和公園の中は 平日でも多くの人が歩いていて
70年前の様子は想像できません
慰霊碑の前では手を合わせる人の姿も
毎年 平和祈念式典が開かれる場所です
このトンネルを通して原爆ドームが見えるようになっています
平和の池
被爆直後に亡くなった人たちが水を欲しがりながら無くなったので
慰霊碑をたっぷりの水で浮かび上がらせています
出来たばかりの追悼平和祈念館
平和の灯
「千羽鶴の塔」「佐々木貞子さんの碑」とも呼ばれる「原爆の子の像」
佐々木貞子さんは2歳の時被爆して原爆の後遺症で白血病になりました
千羽鶴を折れば白血病が治ると信じて鶴を折り続けましたが
被爆から10年 12歳の時に亡くなりました
この塔は 貞子さんの同級生が全世界の子供たちに呼びかけて建設されたもので
今でも 世界中から千羽鶴が届けられ
ガラスケースの中に展示されています
幼くして亡くならなければならなかったことを思うと
胸が熱くなります
今も残る原爆ドーム
すぐ北にある「相生橋」は原爆の投下目標になった橋で
その一部が広島平和記念資料館に展示されていました
爆心地となった場所は平和公園の外
今は病院が建っていて
一角にはそのことを示す案内板があります
記録写真は見たくないから・・・と
資料館は見ないでおこうと思っていたけど
やっぱり見ることになってしまった
今回見たものは ほんのごく一部だけれど
本当に心が痛むものばかり
こんなつらい経験をした日本なんだから
福島の原発事故から4年たった今でも
緊急事態宣言は解除されていないことを考えると
原発の再稼働はするべきではないと思います
元安橋のたもとのカフェで食べた塩バニラのソフトクリームは
ほんのり甘くて
沈んだ心がちょっと軽くなったみたい
私たち以外は外国から来たお客さまでした