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先日、思わぬ人から電話がありました。
「宇野さん?大分の山本やけど」 「え~!山本さん?お元気ですか?今どこですか?」 「実は今東京におるんよ。法事でかね、豊田のおばさんちに来とるんよ。突然で悪いんやけど今日会える?」 「会えるも何も、是非是非是非来て下さい」 ということでその日のお昼に会うことに。 山本さんは、私が学生時代アルバイトしていた九州では指折りといわれた設計事務所の先輩で、と言っても2こ上、実践的訓練を受けてないつまり使い物にならない僕を手取り足取り指導してくれた恩人というとオーバーですが、僕にとっては忘れられない人なんです。 思い出すなー、あの頃。アルバイトの身だったんですが、確か当時中津江村の中学校の設計が進められていて、何故か僕に校門のデザインが任されたんですね。事務所にとってはたかが校門僕にとってはされど校門で、アルバイトにこんなこと任せてええんか?と一瞬戸惑いましたが、任されると人間俄然張り切っちゃうもの。どんなデザインにしたか覚えていませんが、もしかしたら僕のデザインした校門が今中津江村にあるかもしれません。 脱線してしまいましたが、山本さんと聖蹟桜ヶ丘駅で待ち合わせ久しぶりの再開です。以前会ったのは娘が生まれた年ですから23年前。時の経つのは早いものです。今彼は大分で「倭居設計工房」を主宰し、木のぬくもりを大事にした個人住宅を中心に設計活動を続ける傍ら、昔から趣味だった天体観測を続けていて、今「大分に青少年科学館をつくる会」の事務局長を務めているそうです。 そういえば思い出した。アルバイトしていた頃山本さんちに遊びに行ったことがあるんですが、確か離れがあってそこにでっかい天体望遠鏡があったのを。聞いてみると日本で唯一なんだそうです。青少年科学館がない県は。今、仲間と県、市、企業と一緒になってどうやって青少年科学館を作るか色々知恵を出し合っているところということです。何かいいアイデアがあったら教えてください。 「変わらんなー。宇野君」 「山本さんも相変わらずですね。」 ひとしきり話した後、お互いの口から出た言葉ですが、自分のことはさておき、あの頃から天体観測に興味を持ち、そのすばらしさをもっと多くの市民、子どもに伝えたいと、年とともにその活動の範囲を広げている山本さんの姿を目の当たりにして、「僕も負けてられないぞ」と強く思うのでした。 せっかくの機会なので、お昼は堀之内の傍の寺沢に出来たばかりの「かたくりの家」のレストランで摂ることにしました。余談ですがここのオムライスが絶品なのでありまして、機会があったら是非召し上がってください。コックは水澤さんといって、サッカー大好き、いやいや腕利きの料理人です。また脱線しちゃいましたが、食事をしながらここ19住区で考えている夢見隊の夢を語り、その後夢見隊1号PJ、2号PJをご案内し、僕のやってきた仕事の一部を垣間見ていただきました。素直に「すごいなー、HPを見て知っとったんやけど、実際に身を置くのとでは全然違うね。何かほっとする村のような空間やね」「大分でもこういう村のようなまちづくりがしたいっちゃ」と言ってもらって「うんうん」と僕もまんざらではありません。 「山本さん、大分でも山本さんがその気になれば絶対出来るけん。やり。僕に出来ることは応援するけん」 という僕の言葉に山本さん、大いにその気になってくれたかどうかは分かりませんが、夢見隊大分プロジェクトが近いうち動き出すといいなーとまた壮大な妄想にふけるのでした。今度は大分で再会できるといいな。そのときは山本さん率いる仮称夢見隊大分のコーポラティブ住宅に夢を託した多くの仲間と一緒に。わざわざ訪ねてくれた山本さんに感謝です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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