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「私は12秒で走ることができる」
こう言うと相手は 「へーっ。凄いねえ。」 と、感心してくれる。 そう、凄いのである。かなり凄い。ことらしい。 12秒と言うのは国体に出られるかも知れないくらいの速さらしい。 100mを走った時にはだが・・・。 だが、私の場合、50mでのタイムのこと。 大概相手は50mで、というと絶句してしまう。 50mを12秒。信じられないほど凄いことらしい。 私が学生の頃。春になると体力測定というものがあった。 私は、それが堪らなく嫌だった。 投げる、跳ぶ、走る、人よりかなり落ちる運動オンチ。 幼稚園の時代から人並みに走れたことはなかった。 跳び箱だって、逆上がりだって、一度もできた例はない。 私が通った学校は、入ってすぐのところにグランドがあって、教室へ行く学生は必ずその脇を通らねばならなかった。 ある日、私は体力測定に真面目に取り組んでいた。その姿を上級生が目にしたらしい。研究室に戻ると早速その上級生に声をかけられた。 「ねぇ、君。保体は真面目に受けた方が良いと思うけど。あんなにふざけて走ったら、○○先生は単位くれないよ。」 「へ?ふざけて走った???」 私がとても真面目に走っている姿に見えななかったとのこと。 二の句が継げなかった。 自分なりに精一杯していても、外から認められないことも多い。 この頃、運動会で徒競走をするのだろうか。 徒競走をしても、順位をつけない所もあると聞く。 確かに、いつもビリしかなれなかった運動会は嫌いだったが 早く走れないんだから。と割り切って考えることもできた。 皆と同じにはなれないこともある。と実感した。 皆同じ。という考え方は一見平等のように見えるがそれは大きな間違いであるとしか思えない。持って生まれた才能には其々個性がある。皆同じにはなれない。 競争させない。順位をつけない。という教育が本当に個性を伸ばすことになるのかとこの頃疑問に思っている。 競争することで自分の姿が見えてくることもある。 周りの様子も読めてくる。 憲法26条1項こうにある。「すべての国民は法律の定めるところにより、その能力に応じてひとしく教育を受ける権利がある。」と 我が家の近くの小学校が今日は運動会らしく、拡声器の声が風に乗って聞こえてくる。きっと、あの中に私のような子もいるに違いない。 頑張ってとは言えない。今日一楽しんでねと遠くからエールを送った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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