おかしかった私
私はおかしな子どもでした。ふと思い出したので、記憶を頼りに書き留めておきたいと思います。息を吐くように嘘を吐く言動や、選民思想を持ち、上から目線で偉そうな態度はもちろんのこと、無意識のうちにしている行動がそもそもおかしかったのです。まず、無意識のうちにしている自傷行為が酷かった。爪を噛んでいたせいで全ての指が深爪だったのですが、更にその奥の指の皮を捲っては、指先は血だらけになりました。指先や足先になぜか水泡がたくさんできていて、水泡を針の先で刺して潰し、そして皮を捲ってボロボロの肌になっていました。血や体液が流れるまで止められないのです。何をしても満たされない不満を自分の内側に差し向けるしかなかったのでしょう。血や体液が流れると、私の中の汚れた気持ちも一緒に体外に流れるようで安心したのかもしれません。そして、おかしな夢を繰り返し何度も見ました。布団に横になると、何故か無重力空間にいるかのような宙返りを起こしている。たった一人で宇宙空間に放り出され、真っ暗な闇を漂っている。宇宙にいると太陽が爆発して死んでしまうかもしれないという恐怖心に襲われる。心臓の動機が止まらず、胸が苦しくなって目が覚める。「夢か…」と思って再び目を閉じても、同じことが繰り返される。何度目かに目が覚めて「寝られない…」と母の寝室を尋ねるが、「太陽は爆発しないから寝なさい」と軽くあしらわれ、私の不安は何も解消されない。こういう夜が何度もありました。きっとこの原因は「この仏法は宇宙と繋がっている」と言われて続けていたことが大きいです。「宇宙と繋がっている」ことの意味が幼い私には理解できず、題目をあげると「私は今宇宙と繋がっているんだ」と思うようになりました。そして宇宙のことを親に聞いたり、自分で調べるようになります。宇宙には果てがない、上下が無い、空気が無い、人間は生きられない。死ぬ。お題目がそんな場所と繋がっているなんて。「お題目をあげたら大丈夫」と言われ、そのようにするのですが、それは逆効果なのでした。宇宙を連想させ、死を連想させ、苦しくなる。物心ついた幼児の頃から、いじめで悩む中学生頃まで、このようなことが続きました。毎晩、「今日は宇宙にトリップしたらどうしよう」と眠りにつくことが怖かったのです。そして夢だけではなく、現実でもおかしな行動が表れていました。夜中に何度も目が覚めると、母の寝室を覗いたり、母が寝室にいなければ階下の部屋に顔を出していました。「怖い」と訴えることで、親の愛情が欲しかったのだろうな、と今になって思います。けれど、家族より学会を優先させる親だったから、母の言う「大丈夫」は薄っぺらくて、何も安心できませんでした。宇宙への恐怖、つまりそれは死への恐怖だったのですが、死ぬことがたまらなく怖い。夢の中で宇宙にいることも怖いし、現実で死ぬことも怖い。だから私は家の中にいても死ぬことがあるかもしれないと思うようになります。そして真夜中に目が覚めて、家族中の寝室を覗きこんで無事を確認すると、家中のパトロールを始めるのです。コンロの火は消えているか。灰皿の火は消えているか。ガスの元栓は締まっているか。包丁は見えないところに収納されているか。窓や玄関の戸締りはできているか。そして一度は玄関の扉を開けて、段ボールや燃えやすいものが置かれていないかを確認し、家が放火されていないかをこの目で確かめないと気が済まないのです。寝てても起きていても恐怖心に支配され、死んでしまうかもしれないという妄想で錯乱する精神病のようでした。けれど家族が起きている時間にこういう行動をとる私を見ても、誰も真剣には取り合ってくれませんでした。夢をみるのも怖い、寝るのも怖い、起きていても怖い。恐怖感に襲われるのが怖い。勉強や遊びに没頭している時間以外は、常に恐怖と隣り合わせでした。他にも、悪い事をしたら罰があたる、ショテンゼンジンが見ていると言われていました。退転したら頭が八つに割れるだとか、死にきれないほどの苦しみが死ぬまで続くのだとか。骨が折れるとか、家が火事で燃えて亡くなるとか、そんな怖い話をたくさん聞かされていました。聖教新聞や創価新報には仏敵を罵る言葉が並び、座談会や同時中継でも仏敵が不幸になった話を聞かさます。怖いこと、不幸になることがたくさんの毎日で、唯一の幸せになる方法が学会活動だと母は言いました。不幸になりたくなかったら信心しなさい、と。不幸の手紙やチェーンメールと同じ、脅されているような感覚でした。また、私は悪い事をしていました。貧乏でお小遣いも少なかったから、友達と遊ぶお金欲しさに、家族の財布からお金を盗んでいました。だから、悪い事をした私には罰が当たる、家が火事で燃えてしまう、強盗が家に入って来て、包丁で私を刺して殺すかもしれない。そんな恐怖心が常につきまとっていました。その恐怖心は親に気付いてもらえず、癒してもらえず、無自覚のうちにストレスが表れていたのだと思います。私は悪い事をしていました。だから、家族はバラバラに別れてしまったのかな?いつか、頭が八つに割れるのかな?母が正しくて、私は間違っているのかな?創価学会が正しくて、私は間違っているのかな?池田先生が正しくて、私は間違っているのかな?日蓮大聖人が正しくて、私は間違っているのかな?正しいと言われているものを信じることができなかった人間は間違っていますか?正しいと言われているものの正しさが分からず、疑問を感じた人間は間違っていますか?何が正しくて、何が間違っているのだろう?それを決める必要はありますか?