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Celeb ★ Life

Gisele Bundchen

ジゼル・ブンチェン(Gisele Bündchen、本名:Gisele Caroline Bündchen[1]、1980年7月20日 - )は、ブラジル出身の女性ファッションモデル。

現在はアメリカ合衆国を中心に活動。日本ではレオナルド・ディカプリオの元ガールフレンドとして認知されているに留まるが、アメリカでは最も有名で、最も高給取りなスーパーモデルとして知られている。

14歳の時よりモデルとして活動を始め無数のビルボード、テレビに出演。現在、20を越える様々な国のブランドに広告出演しており2008年の「フォーブス誌」の発表ではその年収は3500万ドル(約36億円)、総資産が1億8000万ドル(約200億円)にも上り「最もリッチなモデル」としてギネスブックにも登録されている[2]。

現在独身だが、NFL選手のトム・ブレイディと婚約している[3]。

生い立ち
1980年7月20日、リオグランデ・ド・スル州オリゾンティアのトレス・デ・マイオ(Três de Maio)というドイツ系ブラジル人の街に出生する。両親ヴァウディール(Valdir)とヴァニア(Vânia)は両者共ドイツ系ブラジル人であり、ラクェル(Raquel)、グラジエラ(Graziela)、ガブリエラ(Gabriela)、ラファエラ(Rafaela)、パトリシア(Patrícia)の5人の姉妹がいる。尚、パトリシアはジゼルとの二卵性双生児でジゼルは5分遅れの妹になる。

元々、ジゼルはプロのバレーボール選手になるのが夢でブラジルの名門チームSogipaに入団することも考えた。非常に痩せていた為、小さい頃のあだ名はオリビア・パリトー(漫画「ポパイ」に出てくるポパイの彼女オリーブの事)とサラクーラ(コンゴウクイナ、ブラジルの海鳥)。


[編集] キャリア

[編集] モデル活動
14歳の時マクドナルドでビッグマックを食べていたところモデル・エージェントにスカウトされる。しかし、このスカウト以前13歳の時から彼女は姉妹パトリシアとガブリエラと共に地元のモデル学校に母に強制的に通わされていた。このモデル学校の講師ディルソン・ステイン(Dilson Stein)はティーンエイジャーのモデル教育に非常に熱心な人物で、彼女はジゼルと他の生徒をサンパウロへと連れて行き、大都市見学をさせた後、国際的モデル・エージェンシーElite(エリート・モデル・マネジメント)の評価を受けさせた。その後、ジゼルはナショナル・コンテスト「Elite Look of the Year」に出場、成績は2位だった(ちなみに1位はバイーア州出身のクラウディア・メネゼス(Claudia Menezes)。1996年、スペインのイビサ島で行われた世界大会では4位になった。Fashion Week誌の誌面を飾ったことを皮切りに彼女はニューヨークへと移動、そのキャリアを本格的にスタートさせた。


2006年のファッションショーでのブンチェン1999年、アメリカのケーブルテレビVH1で放送されたVogue Model of the Year awardで評価された後、翌年2000年には俳優キューバ・グッディングJr.と共に同大会のホストを務めた。「ヴォーグ誌」は彼女を「モデル・オブ・ザ・ミレニアム」と評価し「セクシーモデルの再来」と賛辞を送った。しかし同誌は彼女の小さなバストに修正を加え実際より大きくしていたことから、多くの読者から批判が寄せられた。また同年彼女は「ローリング・ストーン誌」の表紙を飾り(モデルで表紙を飾ったのは世界でわずか4人)、この時「世界で最も美しい女性」と書かれた。彼女がキャットウォークすると時給7000ドル(約80万円)といわれ20歳にしてその年収は500万ドル(約6億円)に達した[要出典]。

彼女は本格的な米国デビュー後、数多くの有名ブランドの広告塔となった。ブランドにはクリスチャン・ディオール、バレンシアガ、ドルチェ&ガッバーナ、Missoni、ヴェルサーチ、ルイ=フェルディナン・セリーヌ、ジバンシー、ブルガリ、Lanvin、ゲラン、ヴァレンチノ、ラルフローレン、Earl Jean、ザラ、クロエ、Michael Kors、ルイ・ヴィトン、ヴィクトリアズ・シークレットなど。また彼女はブラジルの最大手携帯電話会社VIVO、マイクロソフト系列Multiplan、カード会社Colcci and Credicardなどの広告も飾っている。Colcci and Credicardに関しては彼女をCMに起用してから売り上げが30%以上も伸びたという[要出典]。

2006年5月、ジゼルはアップル社のテレビ広告キャンペーン「Get a Mac」の"Better Results"で起用された[4]。

彼女は自身専用のサンダルと靴の生産をGrendene(別名Ipanema Gisele Bündchen)に依頼しており、同社の商品は2001年時点で1億足以上が売れた[5]。また南ブラジルにPalladium Executiveというホテルを所有している。

ピーター・リンドバーグを始めMario Testino、Steven Meisel、Nick Knight、Mert and Marcus、Rankin、Annie Leibovitz、Karl Lagerfeld、Peter Lindbergh、Mario Sorrenti、Patrick Demarchelierなど多くの世界的ファッションカメラマンと仕事をこなしており、「ヴォーグ誌」、「ハーパース・バザー誌」、「W誌」、「ELLE誌」、「Allure誌」を始めとした世界的ファッション雑誌のカバーを飾っている。「GQ誌」、「i-D誌」、「The Face誌」、「Arena誌」、「Citizen K誌」、「Flair誌」、「Esquire誌」、「Marie Claire誌」などのマルチメディア雑誌は彼女のファッションだけでなくライフスタイルもフィーチャーしている。「タイム誌」、「ニューズウィーク誌」、「フォーブス誌」、「Vanity Fair誌」、「Veja誌」などの情報誌にも出演することがある。


[編集] 映画出演
彼女は映画デビューの際「とても興味がある」と述べた後「私は若いし今できることを精一杯したい。人生はこの瞬間を大事にしなきゃ」と語った。2004年クィーン・ラティファ、ジミー・ファロンと共にティム・ストーリー監督の『TAXI NY(TAXI)』に出演。

2006年にはメリル・ストリープ主演、デヴィッド・フランクル監督の『プラダを着た悪魔(The Devil Wears Prada)』に出演。また同年には「Get a Mac」のCMに再び出演し、その中で軽い演技を披露した。


[編集] 私生活

ジゼル・ブンチェン仕事が無いときは家族や友人、又はペットのヨークシャテリア・ヴィダ(ポルトガル語で「命」の意)と過ごすことが多い。

彼女のアメリカでの最初のボーイフレンドはモデルのスコット・バーンヒルだったが、僅か6ヶ月で破局している。その後、アメリカのホテル王ヴィクラム・チャットウェル、俳優ジョシュ・ハートネットなどとの噂が立ったが真実かどうか彼女は一切言及しなかった。

その後、俳優レオナルド・ディカプリオとの交際も有名である。彼らは2000年、ロサンゼルスで開かれたファッション・パーティを通じて知り合った。その次の日ディカプリオは彼女に花を贈り食事に誘ったが彼女はそれを拒否している。1ヵ月後、ディカプリオはデートの約束を取り付けたが、2005年のアカデミー賞授賞式まで公の場に2人で姿を現したことは無かった。2005年11月、関係は破局した。

ジゼルはディカプリオとの破局後間も無く、アメリカ人サーファー、ケリー・スレーターと交際。2006年7月に破局。一時期は映画『ファンタスティック・フォー:銀河の危機』に出演していたクリス・エヴァンスと会っていた事もあったが2007年3月現在、NFLのスーパースター、トム・ブレイディ(ニューイングランド・ペイトリオッツのスタークォーターバック)と2006年のクリスマス前から交際。2008年12月に婚約を発表[3]。


[編集] 論争
彼女は論争なくして成功はしなかった。ハイジ・クラムなどのモデルを含め彼女は元々所属していたEliteを去りIMGに移籍したことでエリート・モデル・エージェンシーの会長ジョン・カサブランカスは彼女を『麻薬中毒者』で『仕事のためなら誰とでも寝る』[6]と批判しており(後に撤回)彼女に対し1500万ドル(約17億円)の訴訟を起こしている。

2002年、ヴィクトリアズ・シークレットのファッションショーの収録中、突然、彼女はファー・デザイン会社のBlackglamaと契約を結んでいたことから動物愛護団体の抗議の的となった。ジゼルがステージに立っている時、4人の女性がステージに上がりジゼルが広告になっている「Gisele: Fur Scum(直訳:ジゼルはファーのクズ)と書かれたポスターを大々的に表示(そのポスターにはPETA(People for the Ethical Treatment of Animal)のロゴも)。警備員が彼らを捕獲するまで彼女は必死に無視しようと努めていた。その後ショーのプロデューサーは抗議団体が去ってからジゼルの部分だけ後に収録し直すことになった。

2007年、世界の主要通貨に対し、米ドルの下落が進んだこと(またユーロの高騰)から、ジゼルは新規契約メーカーに対して「ギャラはドル建てではなく、ユーロ建てにしてほしい」と要求した、と英米のメディアが伝えた。ジゼルの広報はこれを否定したものの、大きな波紋を呼び、アメリカの地位低下を象徴する出来事の一つとして、世界中で大々的に報道された。日本でもニュース番組や日本経済新聞1面コラムで取り上げられた』[7]。

ジゼル・ブンチェン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



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