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国分寺で太宰を読む会

国分寺で太宰を読む会

「ダス・ゲマイネ」 1

今年は太宰治生誕100年記念ということで太宰治は、どういった取り上げられ方をしているのかということで考えてみる。今年の太宰治の盛り上がりを考えてみたいのだが、古典的な作家は代表作が専ら注目される、言及されるが、太宰の場合は非常にたくさんの作品が読まれているということに気づかされる。

もちろん代表作は、「人間失格」ということになるのだが新潮文庫の売り上げでみると一位が「人間失格」で628万部、2位が「斜陽」で360万部、3位が「走れメロス」で186万部、4位が「晩年」で161万部、5位が「津軽」で139万部、6位が「ヴィヨンの妻」で108万部となっている。以下「グッドバイ」、「きりぎりす」と続く。

100万部以上売れているミリオンセラーが6冊以上あるということで、今なお売れ続けている。その人気は、今なお、衰えることがない、ということがわかるのである。こういったなかで、私が気がついたことは、「人間失格」にあるようなイメージ。つまり暗い、自己破壊、自己否定的なようなものは、今年、新たに言及されたことで考えてみると、そういったような「暗い」とか『自己否定」とかといったイメージではなくて、私小説的な系譜とは、また別なところで「好きだ。」と、述べている人が増えていることに気付く。代表的はものは、爆笑問題の太田光さんが書いているもので

「人間失格ではない太宰治」というものがある。これは、明るくてユーモアのある作品11作を太田さんの編集で再読しながら、同時に太田さんの読み方を書いている。この中で、太宰には3つ作品の系譜があって、一つは私小説的な作品、二つ目は純然たる創作、三つ目は、虚構で、下敷きがある作品、たとえば「新ハムレット」とか「お伽草紙」とかである。あるもとになる作品があって、それを本歌取りして作ったものがある。太田さんは、この下敷きをパロディーにした作品が最も魅力的である、としている。「右大臣実朝」が一番好きだと言っている。「右大臣実朝」は源実朝を題材にした作品でもとになっている「吾妻鏡」を引用しながら、太宰が独自の解釈を加えて物語にしている。これは新潮文庫の「惜別」に入っている。そいったことで、太宰のもう一つの面、明るい太宰、暗いというイメージがあったのだが、もともと多様な面があったことが、今、また面白いと言っている人が増えていると取材して感じた。

「人間失格」が太宰のイメージを作っているということがあるが、もう一つ太宰の言葉で最も有名なアフォリズム「生まれてすみません。」があるが、これは太宰が本当に言ったのか?どうか?というのは、「生まれてすみません。」と言っているわけではなく、これは実は「二十世紀旗手」と作品の副題なのだ。正確にいうと短編のタイトルが「二十世紀旗手」 とあって副題が「生まれてすみません。」と、あの有名な言葉の出典はそうなる。1937年に短編集に書いている。「二十世紀旗手」というのは、自分は20世紀の旗揚げ屋であるという、きわめて強い自己肯定であるが、一方で「生まれてすみません。」は非常に屈辱的な自己否定である。つまりは、「二十世紀旗手」では、両極端なことであって、きわめて高い自己肯定と極めて高い自己否定とがあって、「二十世紀旗手」は、とてもハチャメチャで躁鬱的なことが書かれている作品だが、太宰の非常に高い肯定「自分は日本を代表する作家なのだ。」と自意識の裏返しであって、「生まれて すみません。」ということだけを取ったら、太宰の両面の内の、片方しか見ていないということになるのだと思う。ところが、どうしても「生まれてすみません。」という言葉が、非常にキャッチーなものだから独り歩きしてしまって、それとマイナスな「人間失格」というタイトルと相まって、「人間失格」「生まれてすみません。」の作家であるというイメージが形成されてきたのだということが分かるのだ。

そこで、実はそうではないのだ、という面が、今年は注目されてきたのだということを先ほど述べたが、その延長で今回は「ダス・ゲマイネ」という作品を取り上げてみたいと思う。



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