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カテゴリ:船の事
当ったり前の事ですけど、嵐のある時に船はめちゃめちゃ揺れます。
嵐がある時、船内を歩くと右によたよた左によたよた。 正直言って若者の私がまっすぐ歩けません。 よたよたするだけならいいのですが、 上に「ふぅ」飛び上がり 「ボン!」と波に打ち付けるような 飛び込みに失敗した時のような エレベーターで感じる重力のような 下に落ちるような感覚もたまに感じました。 なんてったってSPA(エステ)は最上階(13階)ですから揺れるのは当然です。 飾ってあった「花瓶」などは揺れで上から落っこちて割れたりします。 戸棚に生理整頓されてあるマッサージクリームや美容液など 多数の種類の商品も「ボン!」という音と共に上から落っこちてしまいます。 落ちるだけならいいのですが、マッサージオイルなどの入ったビンが上から落ちて割れるとひとたまりもありません。 床には一面にオイルが散らばり、しかも船が揺れるのでオイルはドロ~ ドロ~っと右往左往します。 次の日は必ず、このオイルの処理をすることになります。(もちろん他の物もぐちゃぐちゃになっているので並べなおす。) 私は「もっと戸棚を強化する事の方が先だろ。。。。」といつもブリブリ怒ってたのですが、SPAの会社「スタイナー」は有り余る資金を戸棚の強化にはかけませんでした。(そういうところが「ケチ」で「ガメツイ」!さすが大企業!かなり頭悪いですよね???) 嵐の時にはもちろんお客様はほとんどの方がトリートメントをキャンセルします。 ご年配のお年寄りは部屋の外に出るのを嫌いました。 ただでさえ足元がおぼつかないのに13階のSPAに行けるわけがありませんよね? しかもこういう時はマッサージしてても船が揺れるので重心がうまく取れませんし、 力が相手の体にまっすぐに入りません。 そして案の定お客様にキャンセルされてしまったセラピスト達は 嵐の中やる事も無いので、困ります。 私はこんな時には「絶好の勉強のチャンス!」と言わんばかりに 「指圧の本」を椅子に座って自分のトリートメントルームで読んでました。 でも椅子の下にゴロゴロ金具が付いているので 普通に座って居るのにもかかわらず部屋の端から端を 右にゴロゴロゴロゴロ~~~~~ 左にゴロゴロゴロゴロ~~~~~ と、勝手に滑って行きながら読書してました。かなり危ない。 ただ単に、嵐が過ぎるのを待つしか出来ないで居る私達。 こういう日に私は、「人間はなんてちっぽけなのだろう」と改めて思いました。 そしてこういう時には聖書の中の「イエスキリスト」の事を思い出しました。 嵐の上の海でイエスとイエスの弟子達の乗った船はとっても揺れまくっていました。波も船の中に入り込み沈没しかかっていました。 弟子達は心に恐怖を覚えました。 ところがイエス自身は船の中で眠っておられました。 そこで、弟子達はイエスをおこしてこう言いました。 「先生、わたしどもが溺れ死んでもおかまいにならないのですか?」 イエスは起き上がって風をしかり、海に向かって「静まれ、黙れ」と言われると、風は止んで大なぎになった。 イエスは彼らに言われた、 「なぜ、そんなに怖がるのか。どうして信仰がないのか。」 弟子達は恐れおののいて、互いに言った。 「一体この方は誰だろう。風も海も従わせるとは。。。。」 (参照書物 新約聖書 マルコ4:38~41) 弟子達はイエスの事を神の子だと最初の時にはよく解りませんでした。 そして嵐を止めることが出来るイエスを見て、本当に驚きました。 由美どん自身も実際に嵐の海の上に居て、自分のちっぽけさ無力さを感じ この新約聖書に書いてあるような気持ちを味わう事が出来ました。 この奇跡の話は荒れ狂った海だけだとは思いません。 私達の人生の事も同じ事が言えると思います。 イエスは彼らに言われた、 「なぜ、そんなに怖がるのか。どうして信仰がないのか。」 この信仰が人生でなければ心に穏やかな物は感じないと思います。 自分が逆境に立たされた時にいかにして乗り越えるのか?そう考えると私の場合はイエスの事を無視しては語れません。 イエスキリストが私達人類の罪を贖ってくれた事に心より感謝をしています。 贖う(あがなう)とは誰かが自分の為に代価を払ってくれるという事です。 自分の無力さを感じた時、神の事を考えます。 船に乗って良かったと思う時は、心を神とイエスに向け 思いを深く持ち、 考え、 感じる事が出来た時です。 今日は真面目なお話になってしまいました。 聞いてくださってありがとうございます! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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