2008/04/21(月)21:29
楊貴妃と王昭君
今日は、中国の歴史に残る??四大美女のうち、
楊貴妃と、王昭君を紹介します。では、まず楊貴妃。中国唐代の玄宗皇帝の寵姫として、
あまりにも有名ですよね。元々は、玄宗皇帝の息子の妃だったのに、
玄宗皇帝が、見染めて、自分の寵姫にしたのだそうです。そして、玄宗皇帝が、楊貴妃に溺れて、
全く国政を顧みなくなったため、乱が起き、
その結果、楊貴妃を死なせなくてはならなくなった・・・悲しいですね。しかし、その楊貴妃が、日本に逃れてきた、
という話もあるそうですね。京劇『楊貴妃と阿倍仲麻呂』は、そんな話だったような・・でも、このお話でも、結局、楊貴妃は自殺してしまうのね。 それでは、どうぞ。
楊貴妃の登場です。
まあ、なんと美しい八重桜・・・楊貴妃といっても、お花のことでした。この淡いピンク。上品ですねー。ほとんど白の花弁の中に、
ほんのりと、ピンクを漂わせています。朝日を浴びて、光輝いています。 では、今度は、王昭君の登場です。この王昭君については、
最近、熊本城のニュースで、
ご覧になった方も、多いかもしれません。王昭君は、紀元前一世紀頃の前漢の時代、
三千人とも言われた、元帝の後宮にいました。あまりにも数が多いため、
元帝は、絵師に描かせた肖像画を見て、
女性を選んで、伽をさせていたらしいです。そんなとき、匈奴の王が、和平のため、
元帝に、妻にする女性を求めると、
美女をわたすのがちょっと惜しくなった元帝が、
一番醜い絵の女性「王昭君」を選びました。ところが、実は、王昭君はものすごい美女で、
絵師に賄賂を渡さなかったために、
醜く描かれていたのでした。王昭君は、騎馬民族である匈奴の王のもとに嫁し、
王の子供を産みましたが、
わずか三年で、王は、亡くなり、
匈奴の習慣に従い、今度は、王の息子の妻となりました。このことから、中国では、
王昭君は『悲劇のヒロイン』となっているそうですよ。 さて、お話は、そこまで。これは、植物園に咲いていた椿『王昭君』です。このヒロインのイメージと重なるでしょうか・・・全体に淡いピンクで、底の方が、少し濃くなっています。中には、こんな花もありました。こちらは、突然変異なのでしょうか・・
全体がピンクです。でも、とっても可愛かったので、これもパチリ。桜と椿とでは、比べようもありませんが、
どちらも、素敵なお花でした。