京都は差別意識が強い? by ゆんたま
今月から会社に新しい社員が2人増えた。そのうち1人はわざわざ京都から通ってきている。といっても通勤時間は1時間半位らしいので、特別遠距離というほどでもない。私も京都や神戸まで、それ位の時間をかけて通勤していたことがあるからね。でも遠距離通勤が平気だったのは若かったせいもあるのかな。近ければやっぱり体も気も楽だから。ところで、その京都から通勤している彼女は、韓国人か朝鮮人かと間違われそうな苗字を持っている。でも代々京都人の、純粋な日本人だそうである。ご先祖は造り酒屋だったそうで、大昔のお酒の醸造方法に由来している名前らしい。だが、この名前のせいで、子供の頃からさまざまな差別を受けてきたそうである。小学校でも中学校でも、手を挙げても先生が当ててくれなかったり、名前を呼ばずに無視するのだという。気づいてみると、他の在日の子供達はどうせ当ててもらえないのがわかっているので、最初から手を挙げるようなことはしないのだそうな。その他、先生に2年間苛められたこともあったという。それが仮にも子供達に平等を教えなければいけない教師のすることか!実にあるまじき行為だ。大学に入っても、明らかに在日とわかる人達と同じように、彼女の名前を呼ぶのを飛ばす教師も多かったそうだ。学費を払いに事務所に行くと、窓口とは別の担当者(あとでその担当者も在日とわかる)に回されて、手続きに何時間も待たされることはしょっちゅうだったとか。それがなんと教育大学なのだ。教える側がそんな具合なのだから、差別意識丸出しの教師が出来上がるのも当然だ。働き始めてからも、立派な大学を出た女子にドン!といきなり階段から突き落とされるというようなことはしょっちゅうあったという。幸い転がり落ちて怪我をするようなことはなかったらしいが。前に働いていた派遣先の上司が、何度「違う」と言っても彼女を在日だと思い込んで差別したそうである。ある日、上司が「それなら調べさせてもらうが良いか?」というので、市内には親戚も何人もいるし、親戚に聞かないまでも代々京都の人間だから他の人に聞いてもらったらすぐわかる、と答えたそうだ。で、彼女の言っていたことが正しかったと知ったその上司、土下座して謝ったそうである。聞けば聞くほど、なんとくだらない連中が多いことかと呆れ果てる。相棒も子供の頃、家が貧しかったのでかなりひどい差別を受けたと聞いているが、彼女の場合は名前だけでこれだけ差別されたということに驚く。ちょっと調べればわかることなのに。そして、本当の在日の人達の味わってきた、そして今も味わっている屈辱はどれほどのものだろう?そりゃ自暴自棄になっても当然の話だし、同胞だけで団結しようとするのも当たり前だ。彼女はこんな差別を子供の頃から味わってきたので、「人間は肩書きでも外見でもない」と身に沁みて思うそうである。それはまったくその通りだ。それにしても、私より年下とはいえ、同年代に近い彼女がそれほどの差別を受けてきたことが驚きである。少なくとも私は子供時代に、そんな差別的な言動をする教師にお目にかかったことはなかった。私が人並み以上にぼーっとしていたせいかもしれないが、京都という土地柄のせいもあるんだろうか?両親も、大阪なら名前だけでそこまで差別されることはなかったんちゃうか、と言っていた。大阪に比べると、京都は体質的に古いんだろうか。京都は伝統を守る町だが、進取の気性にも富んでいて、長らく革新府政が続いたところでもある。在日の人達が結構多いし根深い部落問題があるのも事実だが、もっと人権意識が高くても不思議はないのに、彼女が受けてきた差別の数々を聞いていると、どうも私のイメージとは違うようだ。親・子・孫と、3代住まなければ京都人とは認めない、という町である。そういう頑なさが日常的に差別を生み出すのだろうか。もっとも、時代錯誤な人権意識に欠けた人間は、どんな土地にでもいるものだけど。しかし、彼女を教えた教師連中や同僚や上司の頭の中、心の中は一体どうなってるんだろう?誰にだって差別意識は多少なりともあるものだけど、自分の身に引き換えて考えれば、そんな差別をして良いものか悪いものかということぐらいわかりそうなものだ。自分が同じことをされたらどんな気持ちになるかと考えることはないのだろうか。他人にしたことがいつか自分に返ってくるかもしれない、と思うこともないのだろうか。くっだらない低脳な人間の、なんと多いことよ。話を聞いてるだけで、腹が煮え繰り返ってくる。そいつら丸ごとぶった斬って、鉄鍋で煮てやりたいような気分になる。そして、いつまでたっても進歩しない人間という存在そのものに絶望してしまう。・・・脱力・・・**********************************************スローライフスタイル