カテゴリ:日々の気づき
今日は少し落ち込んでたんだけど、「自分自身や自分の人生を批判するなら死ぬ間際でもええやん。それ位の気持ちで前に向こうよ。誰があかんいうても、自分だけは自分の可能性を信じてあげようよ。」と相棒に励まされて、「ほんまにそうやなぁ。」と、随分気持ちが楽になった。 がんばって前向きに生きよう。 話は変わるが、家庭教師先の中学受験生が志望校に合格できたので、ちょっとほっとしている。 落ちた学校もあるけど、彼女にとって一番良い選択ができたんじゃないかな。 小じんまりした躾の行き届いた学校のようだし、勉強にもかなり力を入れていると聞いているから。 算数が得意で、将来は医歯薬系志望と聞いていたのだが、国語が得意になったのでやっぱり文系に進もうかなと言っている、とさっき親御さんから聞いた。 彼女がこれからどういう道に進むのかはわからないが、私としては嬉しい話である。 私が教え始めた11月には、国語ができないと泣いていたぐらいの子だったのだ。 彼女もよくがんばってくれたと思う。 毎日のように夜遅くまで塾に通い、おまけに短期間とはいえ国・算と2人の家庭教師についていたわけだからね。 何はともあれ良かった。 わずか12歳かそこらで挫折や絶望感を味わわなければならないような中学受験を、私は決して良いとは思わない。 20年位前のことだが、「打倒!○学園!」と言ってるような進学塾だとは全く知らずに頼まれて2週間程教えることになり、あと数日で終わるという時にストレスで首から下の全身に蕁麻疹が出てしまった。 教えるのが難しかったからではない。 毎週のテストの出来次第でクラス換えが行われるらしいが、トップクラスの子達はいわゆるエリートで冷ややかな目つきで教師を見ている。お行儀も良い「良い子ちゃん」ばかりだ。 ところが一番下のクラスの子達は、「俺たちはどうせアホやねんから」と口にも出すし、どこか投げやりで半分諦めているような子ばかりだった。 どちらの子供達にも生き生きした子供らしさはなく、みんな死んだ魚のような目をしていた。 少なくとも私にはそう見えた。 それが私には辛くて、精神的に非常にきつかったのだ。そのストレスが蕁麻疹になったのだと思う。 中学受験に失敗した子供達を教えたこともある。 当然ながら他の子供達より勉強はできるものの、挫折感が体からにじみ出ているというか、自分達は失敗者だと骨身に染みているような雰囲気を持っていた。 子供らしさのかけらもなく、変に冷めていて、心の傷の深さを感じさせた。 まだまだ遊びたい盛りの子供にこんな思いをさせてまで中学受験なんて必要あるのか、と当時私は思ったものだ。 今もその気持ちは変わらない。 でも、今の公教育の勉強のレベルの低さ(ゆとり教育の弊害か)や、TVで報道される親のレベルの低さを見聞きすると、私立に進ませたいという親の気持ちもわからないではない。 必要悪なのかもしれない、という気がしてくる。 ちなみに、江戸時代の寺子屋の子供達は、今の公立小学校より100日も多く勉強していたのだそうである。 昔は親も盆・暮れ以外はほとんど休みなどない生活だったわけだから、それもごく自然なことだったのだろう。 私の親の世代でさえ休みは1ヶ月に1日位しかなく、「せめて1週間に1日休めたら良いのになぁ」と母はずっと思っていたそうである。 現代の私達にはとても真似のできない生活だが、資源のない日本ではそういう勤勉さが必要で、それが今の日本を作り上げてきたのだろう。 昔のような詰め込み教育が必ずしも良いとは言わないが、公立では小学校から高校を卒業するまでに日本地図も世界史もほとんど教えず、有名大学の学生でさえ2割が分数ができないなどと聞くと、本当にこれで良いのだろうかとため息が出る。 詰め込みどころか、昔なら一般常識レベルではないか。 普通の親なら不安を覚えて当然だ。 私立校の受験生が増えるのも、世の中の当然の流れと言わざるを得ない。 *************************************************** 中小企業のための営業支援ブログ◆販路開拓コツのコツ◆ 生活お役立ち情報専門コミュニティー☆ソウルナビ良品倶楽部 DVDレコーダーを100%使いこなそう! 見逃せない!TV番組Pick Up!!
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