カテゴリ:雑感
タイトルの言葉の意味をご存知の方には恐縮だが、今日聞いた話である。 母がいつも行く美容院の美容師さんの甥ッ子のお嫁さん(ちょっとややこしい^^;)が、看護師をしているそうだが、老人病棟でヘルパー業務もしなければいけないらしい。 で、少し痴呆のお婆さんをお風呂に入れていた時のこと。 「すんまへんけど、おいどのとこ、きれいに洗てもらえまへんかな。」と言われたそうである。 痴呆とはいえ、やはりなにか気持ちが悪いというのはわかるようだ。 地方出身のこの看護師さん、「はいはい、わかりましたよ。」と答えてその場は普通に洗ったそうだが、後で「“おいど”ってなんですか?」と叔母さんに電話で聞いてきたらしい。 実は「おいど」というのはお尻を表す古い言葉である。 地方出身の人ならわからなくて当然だが、関西の若い人でもひょっとしたら知らないかもしれない。 「ケツ」ならわかるだろうが。(^-^; 私が家では当たり前のように使っている言葉を、若い友人達は「知らない」ということがよくある。 「それどういう意味?」と聞かれる。 「うちでは普通に使てるで。」というと、「それ、おかしい。誰もそんな言葉使えへんし聞いたこともないで。」と言われる。 我が家が商売をしているせいなのかもしれないが、恐らくこうしてたくさんの言葉が死語になっていってるのだろう。 私だって知らない言葉がいくらでもあるんだから。 うちの母は来客があると「おいでやす」と言う。 だから京都出身かと思われることがあるようだが、生粋の河内ッ子である。 祖父(母の父)が滋賀県出身で明治生まれだったせいかもしれない。 祖父の母親は、今なら「行って来ます」というところを「いて参じます」と言ったらしい。 母も子供の頃は「行って参ります」と言ったという。 言葉は時代に連れて変わっていくものだけど、現代の言葉ではなんとも表現できないニュアンスの言葉が失われていくのは寂しいものである。 とはいえ、両親が使う言葉はすべてわかっているものの、私自身が「おいでやす」とか「そうだす」「ほんまだっか?」などという関西弁を使うことは、ない。 関東などでは、落語家や漫才師の話すベタベタの関西弁をすべての関西人が使っていると思っている人がいるようだが、まさかそんなことはない。 田辺聖子の小説に描かれているような関西弁が日常的だったのは私の親の世代ぐらいまでで、しいて言うなら昔ながらの商習慣が残っている船場あたりにまだその名残がある程度だろう。 京都でも「~どす」というのは商売人か色町ぐらいだと思う。 こうして昔ながらの言葉は次第に消えて行くのである。 そういえば、うちでは父が孫達と遊んでやっている時に、「堪忍(かんにん=ごめん)て言え!」と父がよく言っている。 孫達は祖父がくすぐるのから逃げ回って笑い転げながら「堪忍!堪忍!」と言っている。 今時の子供で「かんにん」なんて言う子は少ないんじゃないだろうか。 「おいど」もうちのチビ達は日常的に聞いてるので知っているはず。 自然に消えて行く言葉は仕方がないが、単語であってもせめてこういう古い言葉を遺して行きたいものだと思う。 言葉の豊かさは、感性の豊かさに繋がると思うから。 ********************************************** 中小企業のための営業支援ブログ◆販路開拓コツのコツ◆ 生活お役立ち情報専門コミュニティー☆ソウルナビ良品倶楽部 DVDレコーダーを100%使いこなそう! 見逃せない!TV番組Pick Up!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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