カテゴリ:雑感
先日、正月番組の「徳川風雲録」という10時間ドラマを見たが、あまりにもご都合主義な脚本に呆れてしまった。
脚本の前に、若い頃と後年の徳川吉宗のキャラが違い過ぎる。 若い頃は確か内田朝陽(?)で、後年は中村雅俊だったのだが、往年の南龍公の再来とか言うなら、中村雅俊ではあまりにも穏やかな凡庸な感じでミスキャストだと思った。 中村雅俊が嫌いというのじゃないけれど、血気盛んで文武両道の若い新之助が、数年後になんであんなに借りてきた猫みたいに大人しくなるのか、まったく不自然だ。 新之助が父親の参勤交代について行く途中、宿屋で寛いでいたところへ見ず知らずの女から仇討ちの助勢を頼まれるなんていうのもあり得ない話だし、それがまた父親の光貞が女色を戒めるために女忍者に仕組ませた話だったというのも馬鹿々々しい。 吉宗の落胤の天一坊事件のことはさておき、江島生島事件は出てくるわ赤穂浪士の討ち入りはあるわ、時代がまったくグチャグチャである。 その中でも、浅野内匠頭切腹後の元赤穂屋敷の留守預かりになる松平健扮する土屋主水之助が、これから討ち入りしようという大石内蔵助に向かって、「情も熱もある有望な青年を死なせるよりも、これからの世の中を良くするために生きることを選んではどうか」と説く。 この男、他の場面でも相手構わず何度も「生きろ、生きろ」と説教を垂れる。 これが、命を軽視する風潮のある現代へのメッセージだということはわかる。中東の自爆テロなんかへの批判もあるんだろう。 しかし不自然だ。 当時の人間にそんな意識があるはずがない。 「武士道と云ふは死ぬことと見つけたり」と同時代に書かれた「葉隠」にもあるように、自分を捨てて主人に仕えることが当時の道徳だったわけで、やむにやまれず討ち入りに至るその心情を考えれば、「生きろ」というのはあまりにも現代的な価値観だ。 ここらあたりであまりにも馬鹿々々しくなってしまって後はよく見ていないのだが、いくら娯楽作品とはいえ、あんなに時代考証も時代認識もメチャメチャなものは作るべきじゃないと思う。 ほんとに時間の無駄だったよ~。 ついつい見てしまってた私も馬鹿だったんだけどさ~。 ![]() そういえば、大晦日に紅白と同時ぐらいにテレビ大阪(関東ではテレビ東京か)でやっていた歌番組で、昔流行った歌も流れていたのが懐かしかったのだが、久しぶりに見た黛ジュンには驚いた。 当時の衣装を引っ張り出してきたのかと思うような、細い肩紐の真っ赤な超ミニである。 ![]() 昔と変わってないわよ、というところかもしれないが、やはりあの年(60歳前だろうか?)であの衣装はキツイ。 確かに年に似合わず足はきれいだったけど、あれは若い娘が着てこそ似合うのであって、まるで下着姿にしか見えなかった。 同じ真っ赤でもロングドレスだったら良かったのにねぇ。 ********************************************** 新規開拓営業支援Navi 中小企業のための新規開拓営業支援ブログ◆販路開拓コツのコツ◆ DVDレコーダーを100%使いこなそう! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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