2022/01/06(木)08:03
12月26日(日) 父の告別式
朝 2時30分に目が覚めました。
寝付けないでいると 先に寝ていた母も目を覚まし
3時から 4時40分までおしゃべり。
その後の 2時間は 寝ていて 6時40分に起きました。
7時20分に かぼっちゃまを起こし 着替えさせました。
黒いスーツを持ってくるよう 伝えたのに(持っているのか?)
かなたさんのおさがりの 濃い目の色のスーツを持ってきていました。
身内だけだから まぁいいけど。 が 背広のすそが ほつれているし…。
会館の方に 針と糸をお借りして はるかさんが繕ってくれました。
9時15分に かぼっちゃまと2人で葬儀会館を出て
街中のATMに行ってきました。
かぼっちゃまの給料 手渡しなんだそうです。
24日にもらって そのまま移動してきたのに
広島には都銀の店舗が少なく 入金できないままでした。
で 今朝になって 入金して 家賃を振り込んできました。
雪がちらちら舞っていました。
今日は 午後1時から かなたさんの告別式。
のんた兄ちゃん夫妻は ホテルからバスで10時40分頃来ました。
その後 牧師先生夫妻も来てくださいました。
パパとにんじん娘は 12時になる頃 たっちゃんの車に乗せてもらい到着。
たっちゃんも 親族控室にはいってもらい 喋っているうちに
「列席者のみなさんが 集まられています」と声をかけられました。
会場に移動し、家族で写真を撮ったり
列席し
てくださった みなさんとも写真を撮りました。
ごく親しい親戚と 父の親友夫妻2組との 20名弱で
暖かく 見送ることができました。
御花料等も お断りしたので 手間も無かったし…。
1時開式 司式 牧師先生 奏楽 牧師婦人
讃美歌を歌い 祈祷 聖書朗読 故人略歴紹介
讃美歌 牧師先生の式辞 かなたさんの友人2人による 思い出の言葉
讃美歌 終祷 遺族代表挨拶 献花 出棺
かなたさんの親友が2人ともいい話をして下さり
かなたさんの在りし日の姿を思い浮かべ 泣き笑いしていました。
のんた兄ちゃんの遺族代表挨拶も とても良い挨拶でした
メモも無く すらすらときちんとした挨拶をして びっくり。
2時に出棺予定でしたが 2時25分になりました。
リムジン型の霊柩車(リンカーン)で はるかさん、のんた兄ちゃん、私が
かなたさんと一緒に 乗せてもらいました。
他の方々は それぞれ 自家用車で 全員 火葬場まで来てくださいました。
うちの車は かぼっちゃまが運転。
2時55分から 火葬
待合室で 飲み物や軽食を注文してもらい
それぞれ 歓談して 時間を待ちました。
牧師婦人が 高校で私の1年後輩だったことがわかり
話が 弾みました。
4時過ぎ 「埋葬許可証」をもらって
骨上げの後 4時30分に 解散となりました。
私が高校生の頃の 祖母(母の実母)の火葬の際
大泣きしてその場にいられなかった はるかさんが心配でしたが
大丈夫でした。
かなたさんのこと 覚悟できていたようで よかったのですが
少し 躁状態になっていたようです。
うちの車、きょんた姉ちゃんのお兄さんの車、たっちゃんの車の3台は
葬儀会館に戻りました。5時着。
パパ、かぼっちゃま、にんじん娘は 会館に置かせてもらっていた
私やかぼっちゃまの荷物を持って
たっちゃんの車に 乗せてもらい 自宅に帰りました。
のんた兄ちゃん夫妻は 実家に持って帰る荷物を持ち
きょんた姉ちゃんのお兄さん夫妻に送ってもらって
実家に向かいました。
はるかさんと私が会館に残り
清算の話や 今後の手続き 書類の説明などを聞いてから
5時30分過ぎ に葬儀会館を出て
うちの車(かなたさん名義の車)で 実家に戻りました。
実家では のんた兄ちゃん夫妻が かなたさんの部屋に 遺影と遺骨を並べ
きょんた姉ちゃんが お花の手配もしてくれていました。
今日は のんた兄ちゃんは実家に泊まり
きょんた姉ちゃんは 一人で ホテルに泊まるそうです。
(実家の1階のエアコンが壊れているので…)
今日は かなり冷えるとの予報でしたが 昼間はなんとか過ごせました。
夜の実家は とても寒く エアコンをつけても 効かないほどでした。
外は0℃ 部屋の中は5℃ でした。
その後 雪が降ってきていました。
のんた兄ちゃんが フードデリバリーで 夕飯を頼んでくれて
4人で 夕飯をとりました。
9時すぎに 実家を出て
きょんた姉ちゃんをホテルに送ってから 帰りました。
車のフロントガラスが凍っていました。
雪も よく降ってきていて 橋の上は路面も凍結しかけていました。
明日の朝 積もっていないといいけど…。
自宅では にんじん娘が コストコに行き
自分の好物(サーモンポキ、ティラミス)を買ってきて
割り勘で 夕飯にしたようです。
私の分は 無料で残しておいてくれたので 明日いただきます。