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ゆらのと 徒然草

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2020年03月25日
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    「物語 チシマザクラ」18 325日更新」 

    目次33 根室のチシマザクラのゆくえ

     

    桜爺が他界してから 1年半が過ぎて2度目の春になった。     

     520過ぎになると、根室のチシマザクラは満開となった。

    次郎は桜爺から頼まれた事をまだ実現していなかった。

     どうしたら根室のチシマザクラを生まれ故郷の国後に咲かすことをいつも考えていた。桜爺の気持ちを考えて、大げさでなく、自然なやり方で実行したかった。

     桜爺から預かった金は大切な金は実家のサチに預かってもらっていた。

     次郎は、根室のチシマザクラが満開の頃は例年のように遠洋漁業から帰った時期で2週間の休暇中だった。陽子の休日が日曜だった晴天の朝、次郎が言った。

     「今日は母さんも誘って、根室海峡側のチシマザクラを見に行こう。桜はそんなに多くないけど、海とチシマザクラはよく似合うんだ」

     「まあ嬉しい!そうしましよう。お義母さん喜ぶわ。直ぐ、お母さんに電話するわ」

      陽子が電話すると、サチは一緒に行きたいと言って大喜びだった」

     「これから、おにぎりとおかずを作るから、途中、コンビニで弁当を買わないでね」

     サチは電話を切ると、急いで台所に行った。

     次郎が釧路から桜爺からもらった車で10時過ぎに迎えに行くと、サチは大きな風呂敷包み熱いお茶が入った用意していた魔法瓶を用意していた。

     「お義母さん、お弁当やお茶を作るのが大変だったでしょう?」

      陽子がそれらを見て言った。

    「おにぎりと冷凍物の有り合わせの物だよ。花見の時はおにぎりに限るよ。 嬉しいねえ、みんなで国後が見える海の近くでチシマザクラが見られるなんて」

    次郎は途中、和菓子屋に寄って、桜餅を多めに買った。桜爺や人魚のウララを思いだしたのだ。 

     標津(しべつ)に近い海沿いの丘に2本のチシマザクラの大樹が満開だった。

     次郎は車のブレーキを踏んだ。

     「あの家のチシマザクラを見せてもらおう」

     次郎は車を運転して坂を上った。かなり古い家があって、その隣は雑草が生えた畑が広がっていた。

    3人は車から降りてチシマザクラを見上げると、その彼方に青空が広がっていた。

     「思い出したわ、父さと結婚前、このチシマザクラを観たことがあったわ」

     「まあ、すてき!お義母さんロマンチックな思い出があるんですね」

     陽子はサチの方を見て、微笑んで冷やかした。

     桜の樹の下に、85歳を過ぎたお婆さんが安楽椅子に腰かけて、チシマザクラをぼんやり見ていた。

     「すみません。チシマザクラがきれいなので、見せてもらっていいですか」

     次郎が言うと、お婆さんは驚いて振り向いた。

    「ごめんなさい。網走に住んでいる息子が帰って来た車だと思ってしまいました。どうぞ、ごゆっくり見てください」

     サチと陽子が車から降りて、3人でチシマザクラの大樹に近寄った。

     桜の向こうに銀色に輝く根室海峡とその先に国後島がくっきり見えた。

     「チシマザクラと海と国後島がよく似合って、素晴らしい景色ですね。桜の樹齢はどれくらいですか」

    次郎が尋ねた。

    60年ほど前、私がチシマザクラが好きなので、今はあの世に行った主人が結婚した記念に植木屋から苗を買って来て植えてくれました。

    私は国後島の泊(とまり)の生まれで、私の家は江戸時代から続いた旧家で、庭にはクナシリザクラ(現在のチシマザクラ)が5本植えてありました。

    父は泊でお役人だったので、戦争は行かずにすんだんですが、戦後、引き揚げさせられて、根室の親戚を頼って身を寄せてから、この丘に家を建てて開墾して畑を作りました。

     引き上げる時。預金もあったので、内地(日本のこと)に帰っても、楽に暮らせると思っていましたが戦後、貨幣価値が下がって、二束三文(価値がないこと)でした。何とか生きらこられたのは、父のわずかな恩給(現在の年金)と、わからないように持ち帰った宝石や小判(江戸時代の金貨)を売って食い繋ぎました。両親は力仕事に慣れないので、還暦(60歳)前にあの世に行ってしまいした」

    老婆は涙声になっていた。サチも陽子はそれを聞いてハンカチを目に当てた

     サチが突然、言った。

    「昼も近いし、お腹も空いたので、ここをお借りして、この桜の樹の下で海を見ながら、お弁当を開かせてもいただこうよ。私が作った粗末な物で失礼ですが、奥さんもご一緒に食べていただければ嬉しいです」

    「私も仲間に入らせていただいていいんですか? 他の方と楽しく食事をするのは久しぶりです」

     陽子は用意した敷物を広げ、次郎は座席用の薄い座布団をトランクから取り出した。サチが風呂敷包みを開けると、プラスチックの容器に大きなおにぎりがぎっしり入っていた。重箱には冷凍食品から作ったエビフライやハンバーグと煮魚、野菜の煮しめが詰まっていた。

    「申し遅れて失礼ました。私は佐藤フクと申します。よろしくお願いいたします」

    フクは改まって自己紹介をすると、サチも次郎も陽子も慌てて自己紹介をした。

     サチがおにぎりと重箱のおかずをすすめると、フクは美味しそうに食べた。

     フクは昔の事を思い出して話すのが好きらしく、食事中も自分や家族の身の上を話し続けた。 

    高校を卒業してから根室で勤めていた時、親戚の紹介で教員と見合い結婚した事。息子の和夫も教員になって結婚したが、妻と性格が合わなくて離婚した事等、尽きる事なく話した。

     その時、息子の和夫が車で来た。母親が見知らぬ3人と楽しそうに食事をしているのを見て驚いた。次郎とサチと陽子は座り直して挨拶した・

    「チシマザクラがとても見事に咲いているので、場所をお借りしています」

     次郎が言うと、サチが続けて言った。

     「残り物で失礼ですが、よろしかったら、ご一緒にいかがですか」

    和夫は喜んで仲間に入った。上品で優しそうな和夫は直ぐ、みんなと仲良くなった。

     次郎は雑草が生え茂っている広い畑を指さして和夫に尋ねた。

     「あの広い畑も佐藤さんの土地なんですか?」

     「そうです。私は今、勤め先の近くのアパートに住んでいるんですが、教員は忙しいので、ほったらかしです。誰か使ってくれるとありがたいんですが。ここは海風が強くて、野菜はろくに育ちません。チシマザクラは良く育つんですガ」

     和夫が言うと、次郎はうなずいて聞いていたが、和夫の言葉が、帰ってからずっと気になって、考え続けた。

    根室から国後島までの距離は直線で25キロメートルもない。根室で咲いたチシマザクラの種が風に吹かれて国後島に着くのでないかと根室の気象を調べると、根室に吹く風は殆ど北風だが、夏の終りの台風の時は南から吹く風もある事が分かった。

     もう一つ、次郎を勇気付けたのは、桜爺がアイスランドに桜の種を送った時のように、鳥が桜の実を食べると、糞から種蒔きをして芽が出るかもしれないと思ったからだ。

     次郎は休暇が終わると、次の遠洋漁業に出かけるまで会社勤務だったので、ある晩、陽子に、佐藤家の畑に、チシマザクラを植えさせてもらうと、桜爺の願いに少しは役立つかも知れない事を打ち明けた。

     「それがいいわ。グッドアイデアよ。根室のチシマザクラが生まれ故郷の国後で咲くなんてステキ! 確率は少ないかもしれないけど、いろいろと試せばいいのよ」

    「そうだよ。桜爺さんの夢が実現するまで、金は大事に使わなければならないよ。きっと、いつか桜爺さんの思いは叶うよ」

     次郎は佐藤和夫と別れる時に交換した和夫の名刺に電話して、自分の気持ちを話した。そして、母親と和夫の意向を伺うために日曜に訪ねたいとお願いした。

    数分数に和夫から電話があった。

     「母も私も大賛成です。私は再来年は定年です。定年後は家に帰って、母と、のんびり暮らそうと思っています。母は国後とチシマザクラが好きなので、あの風当たりの強い海辺の丘から離れられないんです。どうぞ、自由に根室のチシマザクラの苗を植えてください。次の日曜の午前中にお待ちしていますので詳しい話を聞かせてくだい」

    次郎と陽子は手を取り合って喜んだ。母親のサチも喜んでくれた。

     日曜日、陽子は老人品ホームの勤務があって行けなかった。サチは大事な話は行きたくないと言ったが、サチが預かっている百万円を和夫に見てもらうために実家に立ち寄ることにした。

     2時間後に立ち寄ると、玄関に風呂式包みが置いてあった。

    「ずいぶん早かったねえ。お昼にお母さんと和夫さんと一緒にこれを食べて欲しいんだよ。この間、食べていただいたら、とても喜んでくださったんで、また、作りたくなったんだよ」

     次郎はサチの、さりげない思いやりに感謝した。そして、サチから渡された100万円を 桜爺が手書きした封筒ごとスーツの内ポケットに入れた。

     佐藤フクの家で、次郎は桜爺こと中村常蔵との経緯(いきさつ)を話し、桜爺の遺言とお金の封筒を取り出した。そして、次郎は自分の願いを真面目に話した。

    「この100万円を全部、こちらの畑をお借りして、根室のザクラの苗を植えさせていただく事ではありません。土地は佐藤さんの所有です。土地を売る時は伐採していただいて結構です。私としてはいろいろなやり方で、中村常蔵さんの願いを叶えてやりたいと思っています。自分勝手なお願いですが、よろしくお願いします」

     次郎は畳に手をついてお願いした。

     フクと和夫は中村常蔵が次郎に宛てた、遺言を読んだ。下手な字だったが遺言の文に感動した。

     フクが言った。

     「私の雑草が生い茂った畑にチシマザクラが沢山咲くなんて夢のようだわ。ロシアの船も沢山、千島海峡を通ります。ロシアの人も本当は桜が好きなんです。高校の頃読んだ「桜の園」を書いたアントン チイホフの家は樺太(現在のサハリン)だったそうです」

     フクは目を輝かせて言った。

    和夫も自分の気持ちを言った。

    「私も大賛成です。母がチシマザクラが好きなので、退職したら、チシマザクラを植えようと思っていました。桜の苗を買う時、私も何本か買わせてください。こんな荒地を買う人なんかいません。

    私は独り身なので、私が死んだ後はチシマザクラだけが毎年、春になると、この丘に静かに咲くなんて。素晴らしいですね。

    中村常蔵さんのお気持ちは、よく分かりた。何処のどなたということは誰にも言いません。中村さんのような生き方もあるんですね」

     和夫も目を輝かせて言った。

     チシマザクラの苗を植えるまでの計画は次郎と和夫が一緒に立てた。

      植樹は次郎が遠洋漁業から帰ってからの113日の文化の日にした。

    その日、植樹前に土地を整備する事、チシマザクラの苗は交配して育てやすい苗よりも国後島から根室の人が持ち帰った、清隆寺系の種から生えた苗にする事、植樹の日のボランティアは公共の報道機関で募集するのでなく、個人の知り合いにお願いする事等、綿密に打ち合わせた。

    佐藤家の畑に何メートルの間隔でどのようにして植えるかを測った。桜が成長した時を考えて広い間隔を取ると、2列植えても30本あまりしか植えられなかった。

    次郎と陽子はインターネットのメールで、ごく親しい学校の時の友達や、勤務先の友達に植樹のボランティアをお願いしたら、何人かが協力してくれる事になった。

     次郎はインターネットのフェースブック(友達リンクできるSNS)で日頃、交信している数人に呼び掛けたら、旅好きで奇心が強い年配の友達が数人が来てくれることになった。

     和夫はチシマザクラの苗の購入価格を知っていた。母親のプレゼントのために5本分は払いたいと言って、強引に金を前渡しした。

     大きなサプライズがあった。次郎が桜爺の友達の六さんに報告のために電話をしたら、113日は是非、参加したいと言ったのだ。

     次郎が一人では無理だと言うと、六さんが、

    「桜爺から預かった葬儀の雑費がまだ残っているし、おれの次男は定年退職後、実家に戻って家を継いでくれたので息子は喜んで行ってくれるよ。

    次男は勤めている時、出張多かったから、全然、心配はいらないよ。チシマザクラを植える場所と集合時間だけ聞かせてくれ。 おれは飛行機に乗るのが初めてなんで、楽しみにしているよ」

     次郎は、六さんの相変わらずの、さりげない思いやに感動した。

     113日、佐藤家の畑に根室のチシマザクラを植樹する日が来た。

     その日は雲一つない晴天で、小春日和のような暖かい日だった。

     次郎とサチと陽子とサチの友達2人も次郎の車に同乗して出かけた。

     少し早めに佐藤家の畑に着くと、すでに、六さんと息子はタクシーで会場に来ていた。

  •  六さんと次郎は挨拶する前に無言でハグを交わした。

     佐藤家の丘の上の畑には植樹のボランティアが40人ほど来てくれた。和夫の親友や教え子も数人

  • 来てくれた。
  • 殆どの人がスコップや鎌を手に持っていたが、大きい用具は次郎と和夫が準備した。

     雑草の生い茂っていた畑は和夫が農家の人を頼んで、きれいに刈り取られていた。

    1時間ほど働いて、休憩の時間となった。みんなは用意してあった飲み物を飲んだ。

    次郎の隣に座っていた陽子が、突然、次郎に話しかけた。

    「私、桜爺さんが書いた詩に次郎さんが作曲した歌を急に歌いたくなったの。ハモニカ持っていたら伴奏してもらいたいの。いいかしら?」

     次郎はびっくりして、陽子の顔を見た。

     「ハモニカは車にあるので、伴奏はできるけど、みんなの前で恥ずかしくないかい?」

     「へっちゃらよ。全然、恥ずかしくないわ。あの歌は私が好きな歌だから、みんなにも聴いてもらいたいのよ」

     次郎が車からハモニカを持ってくると陽子は立ち上がって、高らかに歌い出した。

     

       チシマザクラの思い出は

       桜の花見て思い出す

       みんな みんな 優しかったよ

       みんな みんな 夢があったよ

     

       チシマザクラの思い出は

       桜餅食べ 思いだす

       いつも いつも 美味しかったよ

       いつも いつも 元気だったよ

     

       チシマザクラの故郷(ふるさと)は 

  • )  北の荒海 国後の

       厳しい土地に芽を出して

       寒さと風に耐えながら

       紅い花びら真白に変えて

       優しく優しく微笑むよ

       優しく優しく語らうよ

       さあさ みんなで見にいかん(行こう) 

     

     陽子が歌い終わると、周りの人たちは拍手をした。アンコールに応えて、もう一度、歌った。

  •  最初より大きな拍手だった。陽子は嬉しくなって、歌手になった気分で、にっこり微笑んでお辞儀をした。

         -------------------------------------------------------

                                                                                                  数年後 日本と千島列島はビザなしで3ヶ月間、観光が出来るようになっていた。

     根室と国後島の泊には週に数回、フェリーが運航していて、乗船時間は1時間だった。

     千島海峡には日本の船もロシアの船も行き交っていた。

     日本人は国後島に観光に行ったし、お墓参りも自由に行けた。国後に住んでいるわかmonomo

     ロシア人は春になると、日本は桜の国なので、根室の桜を見に来る人もいたし、根室に買い物に来る人もいた。

     その時、千島海峡に沿いに植えた佐藤家の根室のチシマザクラは大きく育っていた。

     時間のゆとりのあるツアーは佐藤家の根室のチシマザクラを観光バスで立ち寄る団体もあった。

     5月20日過ぎの日曜日、次郎は家族で千島海峡沿い丘に咲いている佐藤家のチシマザクラをを観に行った。次郎はその時、母住んでいる根室の実家を改築し、釧路の会社の根室支社に転勤していたし、陽子は根室の老人ホームに勤務していた。家族はサチと陽子と娘2人の5人になっていた。

    佐藤家を訪ねた時、和夫は喜んで歓迎してくれたが母親のフクはその2月に他界していた。

     バスから20人ほどのロシア人か降りて来て、根室のチシマザクラに近づいた。

     一人の老婆が叫んだ。次郎は独学でロシア語を勉強していたので言っている言葉が分かった。

     「この桜も私が小さい時、国後で見た桜だわ!根室には国後の桜がたくさん咲いている!」

     次郎は「当然だ」と思ったけれど、会話はスムースに話せないので無言で聞き流した。 

  •  次郎は、桜爺からチシマザクラを故郷の国後に咲かせるために預かったお金は半分以上も残っていたのである。

     その時、未だ 、千島列島は日本の領土に戻っていなかった。無名の庶民の1人の次郎が、

  • 「国後島にチマザクラ公園を造らして欲しい」なんて政府に陳情できるわけがない。

  •  ましてや「チシマザクラが好きな爺さんから50万円ほどお金を預かっているが、その人の名前は言えない」と、言ったら、

     「おまえ馬鹿じゃないか? 頭を冷やして来い」

  •  と言われるに違いないと思っていた。

     数日後、次郎は寝床に入っても夜中まで眠れなかったが、突然、跳ね起きて、自分の頭を5回、叩いた。

     「でかい事を考えるから桜爺の願いが実現できないんだ。国後から日本の桜を観に来た観光客に、根室のチシマザクラの苗を11本、土産にやれば、国後のどこかで、チシマザクラは生まれ故郷で花を咲かすんだ。こんな簡単な事をどうして思い付かなかったんだろう」

     次郎は大きな声で叫んだので、隣で眠っていた陽子が目を覚ました。

      翌日、植木屋に問い合わせると根室の清隆寺系のチシマザクの苗は売り切れていたし、植物検疫に日数がかかるとのことだった。

     「国後で生れたチシマザクラを国後の故郷に植えるのにどうして?」

     次郎は矛盾に思ったけれど、国後は未だ日本の領土でなかったので、いたし方なかった。

      翌年の5月、準備をしていた、根室のチシマザクラの苗に植物検疫の許可書を付けて、国後行きのフェリーの乗船口でロシア人に日本の桜の土産に渡した。          

    「スパシーバ」(ロシア語でありがとう)と言って大事そうにもらって行った。

    その時、佐藤家の丘に植えた根室のチシマザクラから、数本の桜の芽が国後で出ていた。。

    それが、風に吹かれて国後島に辿り着いたのか、桜の実を食べた鳥の糞から芽を出したのか誰も分からなかった。

    次郎と陽子の2人の娘の名前は「ちしま」と「さくら」だった。

     チシマザクラが大好きな、人魚のウララとアンドレの子どもと同じ名前だった。

                                             終り

    -------------------------------------------------------------------------------------
  • お知らせ: 物語はこれで」終り」ですが、3月30日に「あとがき」を書きます。
  •      「何故、この物語を書いたか」、「この物語の3つのテーマ」「原稿を書くに当たっての問題点」等を書きます。引き続き、お読みいただきたくお願い致します。    峰村剛





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最終更新日  2020年03月29日 14時51分47秒
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