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カテゴリ:身辺雑記
あるラジオ番組で取り上げられていた話題だが、
「給食の時間に「いただきます」と、自分の子供に言わせないでくれ」と学校に申し入れた親がいたという。 その理由が「親が給食費を支払っているのだから「いただきます」と言うのはおかしいのではないか」とのことだ・・・・・・。 社会一般の認識として、食事前の「いただきます」という言葉にこめられた意味は、 ・目の前に料理が並ぶまでに携わってきた、多数の人たちへの感謝の気持ち(食材を捕ったり栽培したり、それを運んだり。そして料理を作る人。目に見えない形で多数の人がかかわっている)。 ・自らの生命を維持するために、他の生物の生命を奪うということへの懺悔の気持ち(仏教で言うところの「業」)。 ・今日も無事に食事が出来たことへの安堵の気持ち(地球上には、その日一日を生きることに苦心している人たちが未だ数多く存在する)。 ということだ。 おそらくその親は「いただきます」と言う言葉を、児童が教師に対して感謝させるという意味で、強制的に言わせているのだと思いこんでいるのであろう。 つまり、一般的な社会常識が欠如している人なのだ。断言してもいい。 だからこそ、このような屁理屈を堂々と言えるのだと思う。 そして、内心こうも思っているのかもしれない。 「私は間違ったことに対して、公僕に向かい堂々と理論的な抗議をしている。どうです、すごいでしょう」と。 私はこのような人のことを「お利口な馬鹿者」と呼んで、軽蔑している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.02.15 20:48:40
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