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カテゴリ:我思う
週刊文春の記事でかつて述べていたこと。
「テレビや新聞で大事件が報じられると憂鬱な気分になる。なぜならその事件を頭の弱い人間が真似るからだ」と、このようなことを書いてあったように思う。 例えば「親とうまくいっていない子供が、親を殺して逃走し補導された」という事件。 普通ならば、子供であっても「なんてことをするんだ」「許せない」「こうなるまえに何とか出来なかったのか」などと思うものだ。 が、これを"免罪符"だと取ってしまう、まさに「頭の弱い輩」がいるのである。 その結果、榊氏の言うとおりにしばらくするとまた同じような見出しが新聞に並び、ワイドショーで司会者が「なぜこのようなことが、また起こったのでしょう」と、コメントすることとなるのだ。 このような事件が起きると、マスコミが「少年の心の闇を究明する」とか("心の闇"って奴は、人間誰でも大なり小なり持ち合わせているものです)とか「社会構造が生み出した犯罪」(小林よしのりも言っていたが、社会がかかわっていない犯罪など存在しない)とか言って原因探しをしているけど、そんなことが本当にこのような悲惨な事件の抑止力になると思っているのであろうか。 そんなしゃらくさいことを言ってないで、 「おまえはそんな取るに足らないことで、まだ70年以上も残っている人生を台無しにするのか」。 「未成年で名前が公表されなくても、口コミやネットで広まるものなんだぞ」。 「自分自身や親・兄弟だけではなく、親戚一同、学校関係者、これまでつき合ってきた友達。全員の人生をむちゃくちゃにするのだぞ」。 「このような場合、被害者に支払べき賠償金は過去の判例では○○○○万円にもなるぞ。おまえにウン千万、ウン億という賠償金が支払えるのか。そう簡単に踏み倒せると思ったら大間違いだぞ」。 こういった「犯罪者と犯罪被害者を取り巻く惨い現実」をストレートに訴えた方が、頭の弱い人間達にはよっぽど効果があると思うんだけどなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.08.30 22:56:16
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