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カテゴリ:ライフスタイル
「当然と偶然」 ライフスタイル
「感謝の気持ちが足りない」とよく嘆かれる人を見かける。 その人が施した恩に対しての感謝が足りないという意味で使われている。 私たちはモット、感謝の気持ちを言葉や贈り物で、伝えなければならない。 若い頃、神戸市内にある繁華街に出かけた時、急に都会の砂漠を感じた経験があった。 実に苦しかった精神状態なのである。 もしここで、自分が倒れたなら、通勤に忙しい人たちや通行する人は、どのようにしてくれるのだろうか?という妄想を持ったのである。 そして、「誰も自分には関心を示さず、ただじっと物を見るような目で通り過ぎていくのだろう」と考えたものである。 それから、人生経験が増えるうちに、そのようなことは無いのではないかと、気がつくようになった。 少なくとも、自分が通りかかったなら、「親切なこころ」を呼び覚まし、何かの手助けしようと考え、行動するように心がけている。 私は、親切な人を目指さねばならないと、考えている。 ところで、偶然このような時、助けてくれた人に対しては、私たちは、大いに感謝の念が湧き起るものだ。綺麗な心と言えるだろう。 翻ってみると、日常に起こる。感謝すべきことに、馴れたのか、この美しい心を自分の中から沸き起こることが、少なくなるような気がする。 当然かもしれない。 この当たり前について、暇な時に一度考えてみることを、是非お薦めいたします。 朝の陽のありがたさ、鳥のさえずる声、活き活きとした、庭の草花。 朝の食卓、夕の団欒。老親の無事、隣人の笑顔、 このような幸福に包まれて日々生きているのである。 私たちはそれを忘れていませんか?と心の綺麗な部分へ問いかける時間を持つのはいかがだろうか? 人生の不幸を嘆きすぎてはいませんか? 今のままで充分と言う。ありのままのありがたさを、一度受け入れてみたい気がしてきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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