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2014.01.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
普段の生活や仕事上でヨソの宗教と接する時、よくその習慣について考えたりする事がある。
宗教とはつまり習慣だろうな。
この地の住人は中華系とマレー系で構成されており、勿論それぞれの宗教施設も別々である。
牛がダメ、豚がダメ、というのは昔々牛や豚に起因する伝染病が流行ったとか、そんな感じなんでしょうね。適当な推測ですけれども。



昔、ヨーロッパ行の貨物船で、バングラ人の学生さん達と一緒に乗っていた時の事です。
ちょうど彼らは夏のラマダン時期で、日の出から日没まで飯が喰えないと云うのである。
クソ暑い機関室で作業した後、水を口にするのもダメみたいな、随分よろしくない状況である様に思えたのがその数日後、
お日さんの明るいうちからモリモリ飯を食しているので、ラマダンが明けたかと尋ねると、

  無理、あきらめた

という返事が返ってきた。
実は意外と融通を利かせているのがイスラムだったりする。
食べる時に気が付きさえしなけりゃ豚肉もオッケーらしい。
当時、イスラムと神道が似ていると感じた事は、神様は見ている時と見てない時がある、という実に自己完結な思想であり、居る時は居て居ない時は居ない、というのとまぁ同じであり、とても人間らしく横着である。



宗教なんてのは実に言葉が悪くて、不気味なカルトも含めて今はもうただの商売、パチンコ屋と同じ不労所得の手段でしかなく、繰り返して実に気味が悪い。

古来からの習慣と慣習のみが本来の宗教であり、意識しなければ正に慣習でしかない。
後は心の問題。意識の回帰する場所は。



大切に思う心。
その気持ちを持つ人々以外の別の人間や集団が、安易にその慣習へ触れてはならんのである。
至極当たり前の噺である。





さて、むしろジャングルと呼べる山道を抜けますと、目の前に途方もなく大きな池が広がりました。



ネットで拾った情報ですが、その景観がお伊勢さんに似ていた事から、この地に建てたそうな。
おそらくこれが、昭南神社の参道跡?



木組みの橋げたが見えます。この対岸にお社があったそうな。
今はもう道すら見えない。



随分荘厳で神聖な雰囲気。四国の山とよく似た色の森です。
神社跡である事を示すような看板も何もなく、本当にここがそうなのか謎でしたが、
ここが新年の挨拶の場所となりました。




どうやらジャングルの中に、わずかながらお社の跡が残っているらしい。
機会を作って捜してみようと思います。

良い正月でした。





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Last updated  2014.01.05 04:15:25
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