長野五輪開会式 1998年2月7日
長野五輪開会式 回想 1998年2月7日1998年2月7日 運動公園スタジアム 晴のち曇り10:00~13:30 Part 1 6:40分にでて運転手の待機する川中島へ向かった。もうバイパスしか 行けない。交通規制が掛かっていた。 もう開会式場へ向かって歩いている人が多かった。8:00前に到着。 9時前に途中まで乗せていって貰った。そこから歩き、入場口は砂利の所を 歩いていった。凄い人だった。手袋の中の物をビニール袋に入れてくれ、 と警官の人。厳重チェックが始まっていた。 ふと行くと、カメラが回っていた。おらは近づいて木曜日に作った Love Peace 2.7 1998 と Let’s Song NO9 Freude を見せびらかした。 カメラがこっちを向いた。 「どちらからですか?」 「小諸です。」 「このLove Peace はどういうお気持ちで作られましたか?」 「長野のテーマは 愛と参加です。 参加は字が長くなってしまうので Peace にしました。第9を歌います。 がんばります。」 そして近くで貰った日の丸の旗を振って過ぎ去った。 一方的にこちらが押し掛けた感じのものだった。自分でも不思議だった。 ふっと目の前にカメラがあったのでアピールしたのだった。 これがテレビに映ればいいなぁと 淡い気持ちを抱いて入場口へ。 もうかなり込み合っていた。ふと見ると、 丸子町の tさんだ。 慌てて声を 掛けた。 選手村でAD発行関係をやっている。 完全にミーハーしていて かっこいいピンバッチを沢山付けていた。 昨日USAのフィギュアの タラ リピンスキー にサインをもらったそうだ。 いいなぁ。 他にも有力選手と交流があるそうだ。いいなぁ。ペラペラ出来る人は。 そしてゲート12 へ向かった。眼の鋭い私服警官が何人も観客を 見据えている。荷物検査。 折角作った。 Love Peaceは没収されて しまった。返却もしないそうだ。 ちぇっ。 ドーム状の金属探知器をくぐり抜け、さらにハンディの金探 更に ボディーチェック オチンチンの当たりはやられなかった。 知り合いに会った。ギャルの追っかけをしていた。 フーさんらの為にプログラムを 何部もガメタ。 外国人も多い。早めに来て良かった。 スタジアムのてっぺんまで行った。やや薄曇り青空もややあり。客の入りは 遅かった。厳重入場チェックで時間が掛かっているため。 もう殆どの合唱団員は来ていた。おらが一番遅かったかも。 10時近かった。昨日と同じように観客リハーサル。第9の主題の所の練習。 会場の人にラララでも アアアでも歌ってくれとのお話。斉藤さん。 昨日と違って、小沢征爾先生が来た。是非一緒に会場の人歌って欲しいと アピール。 2月1日でも言っていた20人の山仲間の紹介も小沢先生がした。 アルトの方で赤のウエァーだった。オケがこの部分に来たら立ち上がってくれ の 練習もした。 時間ある限りやった。 小沢先生の意気込みがヒシヒシと感じた。 フーさんに電話したりスーさんにも電話した。 フーさんに携帯を借りて助かった。 とても便利。 刻一刻と11:00が近づいていた。 お客の入りが悪い。VIPの辺が空席だった。何列もある。きっと11:00に 間に合わなかった人もいたんじゃないかなぁ。 聖火側のパイプの仮設スタンドは日本人が多い。 北側とかは外国人の姿 が圧倒的である。 ウェーブとかは無かった。 ちょっと遅れてるんじゃないかな? と思っていたら 始まった。 大型スクリーンにオープニングの映像が映った。昨日のランスルーと同じ。 善光寺の梵鐘。 昨日に続いてバシバシ写真を撮った。 昨日と違うのは天気が薄曇りになってしまったこと。そして雰囲気。 あのVIPの空席は実に残念。 御柱が始まった。 良い声だ。木遣り 実に迫力がある。大きな大木だ。 逆立ちしている人もいた。 段々柱が建っていく。昨日と同じく西の柱が遅い。 色とりどりの フリフリ もいい。 8本がそれぞれ建っていくのが実にいい。 スタジアムが小さく感じられるくらいの御柱である。 テレビで見るのは実に味気ない。迫力がちっともないなぁ。 こんなに違うとは予想しなかった。その川中島の友人運転手が言っていたが、 全く同感。 テレビじゃ 全く迫力なし。 実物は凄かった。 おらの折り紙付き。 ちょっとハプニングがあった。 直ぐ手前の御柱の梯子みたいのが絡まってしまって降りられなかった。 焦っている感じがあった。もう他の人はみな 終わって引き揚げているのに… このまま降りられなかったらどうなるのだろうと冷や冷やした。 降りるのももし落ちて怪我したらとヒヤヒヤ。 幕内力士の四股のヨイショのかけ声は 10時40分頃練習したものである。 白子が色々準備しているのもテレビでは味わえない。 勿論テレビの方が良いところはずっと沢山ある。化粧回しや解説など。 こうも実際とテレビでは違う物か。 昨日味わえなかった、天皇陛下のご臨席。 そして曙が土俵入りをした。 いままで、エムウエーブで色々見てきているから、如何にテレビの方が いいなぁと思ってたが…。 雰囲気は勿論現地であるが。 テレビだと御柱の良いところが見れなかったのは非常に残念。 道祖神 やっぱり雪ん子の子供達はかわいかった。 われられ合唱団はこの歌 明日こそ、子供たちが… When children rule the world を歌っている。即興で。 しかも手拍子もしているのだ。 テレビではわからんだろうなぁ。 軽快な歌だ。元気が出る。 サビの部分は 歌おう この願い 争い 憎しみ 苦しみ 怒りも 消え去るよう いつの日 出逢える 明るい あしたに 世界を 光で つつむのは 子供たち When children rule the world tonight When children rule the world この中に眼の不自由な子、耳の不自由な子がいたとは思わなんだ。 テレビをみて初めて知った。 これがテレビの良いところである。 子供達を主役にしているのは実にいい。元気のいい子供達。 入場行進が始まった。 貴乃浪がギリシャを先導してきた。昨日のリハーサルと違って もう一人の子供を肩車している。 こりゃ実にいい。 テレビと全然違うところがある。 それはわれわれ観客の歓迎の仕方である。 テレビは各国の入場の所しか映さない。 我々聖火台下はものすごい歓迎だった。 おらは殆ど旗を降り続けた。 まずは聖火台下に近づいた力士と手を繋いだ子供が手を振る。 そこから歓迎が始まるのだ。 聖火台下の日の丸が ワーワー、 ヒューヒューと歓迎が始まる。 次第に選手が一人二人と手を振る。 我々は更に旗をフリフリ、 声をだす。 手を振る選手が多くなる。 一人どこかの女性選手がかなりパフォーマンスで 手を振る動作をした。 我々は大喜び。ものすごい歓声となった。 イギリスだっただろうか。選手がものすごく乗ってくれた。 席も近いので反応がすばやい。 長いこと 選手との交流があった。 少ない人数の選手団でも分け隔てなく 歓迎した。 むしろこちらの人達への声援の方が大きかったかも。 西側からの入場が始まった。歓迎はおさまらない。 スイス選手団だっただろうか? 10人程の選手が 御柱前で 押さえて押さえて の ジェスチャー そして ワーと 手を挙げる。 これに合わせて我々は 大歓声と、旗振り。 何回やったろうか? 実に楽しかった。日本通の人がいたのだろうか? 押さえて押さえて の ジェスチャーは 最高に楽しかった。 今回の開会式で一番楽しかったのはこれだ。 (感動は 子供達の演技御柱の迫力) USAはさすがに陽気だった。どちらかと言うとアジアの人達は大人しい。 残念だったことがある。日本選手が入ってきてしまった。 まだ数カ国我々の前を通っていない。 ヒューヒューの歓迎が 出来なかった。 日本の選手の入場行進曲は信濃の国である。 我々は信濃の国になったら、立って歌う指令を受けていた。 これでどうしてもまだ遠い日本選手へ気が行ってしまって数カ国の歓迎が おろそかになってしまった。 日本選手も殆ど手を振っていた。 信濃の国を歌っているので 歓迎のヒューヒューが出来ず残念。 でも何らかの形で信濃の国をと思っていた願いが通じた。 嬉しい。 テレビだと初めの入場の所は殆ど我々の音声が入っていない。 我々はでかい声で歌っていた… 斉藤英四郎会長のあいさつ。愛と言う言葉が何度かでてきた。 サマランチ会長挨拶。 でもおらはよく覚えていない。 選手らへの歓迎で昨日に増して ウカレポンチだった。 天皇陛下開会宣言。 ファンファーレ。 五輪国旗入場。五輪国旗掲揚の時を見逃した。 近くの選手に手を振っていて逃してしまった。 国家演奏。 神妙に歌った。 でもやっぱりウカレすぎていて、記憶に薄い。