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らぴすらずり・うぃ~くりぃ~

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March 17, 2005
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カテゴリ:天使のお話
昨日に続けて、コメントをつけにくい文章ですのでスルーして下さい。
昨日の文章に続けて、一気に書いたものなので、アップしようと思いました。
そうか、こう感じる人間もいるのか、と読んで頂ければと思います。

17日は次男の命日でした。
雨が降り出す中、お墓参りに行きました。
横型で、ピンク色の花崗岩に、大好きだったクマちゃんのぬいぐるみが彫ってあるお墓です。
チビ助は保育園に行ってもらって、学校を休んだ長男と、夫と、3人でお参りしました。


次男が亡くなった当時。
長男は、5歳でした。
小児病棟は感染防止のため、子どもの入室を禁じています。
次男は一瞬たりとも人工呼吸器が離せなかったため、婦長による特別な計らいという扱いでもって、
次男にごくわずかな面会を2回しか許されませんでした。
毎日長男の写真を見つめていた次男。なのに、実際に会うと興奮して泣いてしまって
呼吸器のバッキング(呼吸器から送られる空気をタイミング良く取り込めなくなってしまう)を起こし、
すぐに引き離されてしまったのでした。
一方の長男は、まだ幼かったためとはいえ、珍しい病室の風景にきょろきょろするばかりで、
「感動の対面」を期待していたバカな私は、あっさりと裏切られた思いをしたものでした。
冬になって、風邪を引いたり、わずかな鼻水をたらしていたなどと、細かい理由をつけては
長男との再会のタイミングを見つけ損ねてしまいました。
結局会わせてあげることができないままになってしまった。
深夜の、病院からの電話。
病棟の入り口の、真っ暗なロビーのソファに長男を一人置いて、私たち夫婦はICUへと急いで入り込んだのですが。
そこで、ありえない光景を見て、とても現実のものとは思われない一連の結末を迎えて、
それからまるでテレビでも見ているかのような時間の流れがあって。
長男を置き去りにしていることに気がついたのは、1時間以上経ってからかもしれません。
亡くなった次男に会わせて、それからおばあちゃん達に連絡して、死体解剖の方に回したり
病室の私物の撤去をさせられたり、葬儀社の手続きをさせられたり。
いったい、長男はその長い1日をどのように過ごしていたのか。
長男がどんな表情だったのか。
全く、私には思い出せないのです。
お人形のようになってしまった次男を抱っこして連れて帰り、
1年ぶりの部屋に寝かせてあげて。たくさんお話をしてあげて。
だけど、その間、長男は何をして、何を思っていたのでしょう。
お葬式の間、私達の席とは反対側の、私の親族の側におとなしく座っていた長男の姿は思い出せます。
長い時間だったのに、静かにおとなしく、ずっといい姿勢で座っていて、
「なんてお利口さんにしている坊ちゃん」という、その姿を、ぼーっと遠い思いで私は眺めていました。
母親がおかしくなってしまっていても、彼は、静かに、凛とした姿勢で、日々を過ごしていました。

育児休職なのに育児するべき子どもがいなくなってしまったので、会社の人事部と相談したところ、
四十九日が過ぎてから出社することになりました。
理由消失から2ヶ月以降になると、社会保険的になんらかの手続きが必要らしいので、
その前に戻れば、ということでした。
お葬式が終わると、とたんに人の気配が家から無くなります。
いったい、いつから夫が出社したのか、その記憶も定かではないのですが、
気がついたら、私は家に一人でいました。
朝、無意識にだったのかもしれませんが、長男を登園させて、日中を過ごし、
また夕方にお迎えに行って、二人で夕ご飯を食べて、寝る。
当時の、断片的な日記には、人がお焼香にきて下さっていたり、
私がお仏壇を買いに行ったりしていることが書かれています。
だけど、その日常生活をどう過ごしていたのか、全く私の記憶にありません。
ガン患者のご家族の方で同様の経験をされることも多いそうですが、
それまでの、濃密な看病生活を、突然に、心構えがないままに断ち切られてしまう。
毎日病室に行き、隣のベットの人や看護婦さんたちと話をしていたのに、ぽつんと家の中に置き去りにされ、やるべきことが失われてしまう。
その喪失感は、非常に激しいものでした。
そんな毎日の中、長男はそれまでと変わらずに、ずっといい子で過ごしていました。
わからないのかな。
そんな風にも、思えてきました。
まだ、5歳だもの.....。わからないのも、無理がないのかな。
1年の間の入院生活の間に、弟の記憶も、だんだん薄くなってしまったのかな。
それも、仕方がないことなのかもしれない。
そう、思っていたある日のこと。
ちょっと早めにお迎えに行ったところ、園庭で、園長先生から聞いた一言が。
「毎日ね、泣いているんですよ。」
....え?
「楽しそうにしていても、気がつくと、園庭の端で空を見ていたりして。
 声をかけようとすると、涙を浮かべているんですよ。
 『ボクのオトウトが死んじゃったんだ』って言って。
 そうなんだね、亡くなっちゃんたんだよね。さびしくて、涙が出ちゃうね。
 そう言うと、
 『うん。だけど、ぼく、お家では泣かないんだ。
  だって、世界で一番かわいそうなのは、お母さんだから。
  だから、ぼく、家では泣かないの。』
 そう、言っていましたよ。」
と。
本当に、驚きました。
そんなことを、言っていたんですか。
全然、そんなそぶりは見せなかったのに。
5歳の子が、そんなことを言うだなんて。

5歳でも、男の子は、男の子なんですね。
そんな男の子のやさしさに、当時に私はすっかり甘えてしまっていました。
本当は、我慢している長男の気持ちをしっかり受け止めてあげればよかったのかもしれない。
できなかったけれども。
後になって「本当は、もっと会いたかったのに」と言われました。会わせてあげればよかったね。ごめんね。
「どうして、死んじゃったの?」と聞かれたこともありました。
どうしてなんだろう、お母さんもわからない。そうとしか、答えられませんでした。
このお家には、子どもがボクしかいなくなっちゃった。
そうか。最初から一人っ子なのと、一人っ子になってしまったのとは、ずいぶん違うものなんだろう。
夫婦二人だったら、亡くなった子どもの思いでと共に生きるという人生もあったかもしれない。
けれども、兄弟がほしいという長男の気持ち、私の年齢的な限界。
いろいろ考えて、兄弟がいてもいいかもしれないな。そう、思うようになりました。







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最終更新日  February 21, 2006 12:13:14 AM
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