2008/02/27(水)18:25
南大門消失
つい先日見た、非常にインパクトのあった南大門が、
テレビの画面の中で真っ黒になって焦げ落ちていく有様はとても衝撃的でした。
ソウル2日目の夕方。買い出しに、南大門市場まで電車に乗って出かけたけれど、
アメ横のような雰囲気でイマイチ楽しめそうにも無いので、
「やっぱり、ソウル駅に隣接しているコストコのようなスーパーで買い物したい!」
と我が家の男ども3人を説得して、歩き始めたところの広場に、雄々しくそびえていたのが南大門。
バッキンガム宮殿のように、民族服を着た近衛兵のような兵隊さんが立っていて
思わず写真を撮りたかったけれど、その時の私の心はすっかりスーパーに飛んでいたことと、
体重25キロのちびすけをおんぶし続けていたため思考がショートしていて
写真を撮るのを忘れたのよねぇ.....
の南大門が、大火事じゃないですか。
東京でいえば、浅草寺が焼けちゃうようなものです。
ソウルは、日本軍占領によって消失させられた文化財を、大変な気力と財力を注いで再建中。
王宮の日本語ガイドさんも「負担は非常なものになります」と言ってました。
でも、ひとつひとつを再建することが、国と国民の復興、プライドの復興になるのでしょう。
それだけに、今回の事件は非常な影響があるかと思います。
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1年前が遠い日のように感じられた、2月1日。
お友達のお子様の健闘を祈りつつ、その日はお盆とお正月以外、入試休みとして
唯一のまとまったお休みだったため、我が家はソウルに旅行に行きました。
小2で行ったUSJを皮切りに、グアム・北海道・沖縄・グアムとリゾート地ばかりを巡っていた我が家。
にっこりと愛想笑いしてくれるだけのリゾート地ではない旅行は、長男に非常な印象があったようです。
初めは「すごく落ち着かない」と言っていたけれど、言葉が通じないってこういうことなのか、と思ったり、感じ方の違いを受け入れたりしたようです。
また、私にとっても、こういう旅行は初めてでした。
新婚旅行のバルセロナも、その翌年に行ったニューカレドニア(それ以降旅行は8年封印)も、
英語が通じないなぁとは思ったけれど、所詮はアルファベットの国。
それが、ハングル文字だけで、見るものすべてがどうにも想像もつかない世界ということや、英語が通じないというのは、40ウン年で産まれて初めての経験でした。
東京に来る外人って、こういう思いをしているのかな。
ちょっと書いてある英語よりも、わずかの中国語の漢字の情報の方が、ずっと心強かったですね。
ちびすけには、王宮も、焼き肉も、サムゲタンも、全く興味が持てなかったようで。
「歩かされてばかりで、本当につまらなかった」
と言われてしまいました。
挙げ句に、機内食の炊き込みご飯を欠食児童のようにかきこんで。
ソウルにはおかゆも海苔巻きもあるし....なんて思ったけれど、焼き肉屋では食べられなかったものね。
人生ステージが違いすぎる子ども2人を連れての旅行は難しいですね。