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子供達がサッカーを始めた4年前くらいから
私には土日がなくなった。 最初の頃は、 「あ~~~!明日はどようびぃ~~。ゆっくりねられるわぁ~~~」 といった、 マックス気が抜けたここちよい気分を味わうことなく 寝る金曜日の夜を苦痛に感じた。 子供達に用意するドデカイ二リットル入りの水筒を用意することさえ たいへ~~~んだとおもった。 え~~。土日なのにお弁当?つくらなくちゃいけないの? (ヤスミタイ) 。。。とおもった。 帰ってくると土汚れがびっちりついたユニフォーム 三人分(パパも脱衣所にどっさり。。。 私の心げんなり。。。 綺麗に拭き掃除した玄関には土、どろ、すなぁ~~~~~~ ぎゃ~!?おまけに脱衣所もどろだらけぇ~~~。 げんなり。。。ぐったり。。。 あ~~。月曜日があってよかった。。。(休める) そんな毎週末を送ってきた私。 うん。自分で自分を誉めてあげたい。 あはは。 なーんてね。たしかに 大変だった、さいしょは。 でも、慣れてくるもんですね。 今では水筒用意するのも、汚れた服をあらうのも 手馴れたもんです。っていうか、それがあたりまえだと 思うようになったから、心が気持ちがシフトしたんですね。 人間は環境に適応するスバラシイ特性をもっているんだって つくづく思うこのごろです。 (いやはや、私は適応するのに数年かかりましたが。。。おそすぎまっす!) 幸いなことに私に似ず、スポーツだいすきっこに育ってくれた 頼もしい子供達をみながら この子達が今、夢中になれるものがあるってことに心から 神様に感謝したい。 幼い頃、毎週一度は小児科通いをしたひび。 喘息にアトピー、熱にひきつけ。 幼い子供達がかかるであろう病気という病気にだいたい かかって、しかもかかると、軽症ではすまされない子供達。 神様がこの子供達をつれていきませぬようにと。。。 祈ったことも何度あったことでしょう。 病気になるたびに、神様がいてくださってよかったって 感謝しながら祈る夜。 神様を信じていなかった頃は、子供の病気が心配で心配で。。。 その心配が私の心の中からはみでてしまって、 大きくなって、押しつぶされて動けなくなってしまったこともあった。 自分のことを責めて苦しくて、でも誰にもうちあけられなくて。 良いママになりたい。良い妻になりたい。 こんことで凹んでちゃだめ、こんなふうになったのは 私がいけなかったんだろうか。。。 自問自答しながら幼い子供達のぷっくりやわらかく ふくらんだ頬に何度慰められたことだろう。 神様を信じていなかった頃だって 今思えば沢山のめぐみがあった。 辛かったときも、夫が側にいてくれて必要なときには手助けしてくれた。 私の両親も本当にかわいがってくれてよく 遊びにつれていってくれた。 今、少しばかり大きくなった子供達をみていて、 この子達は私が育てたんじゃないって、つくづく思う。 神様が守ってくださっていた。 夫がいてくれて、両親がいてくれて、 周りのお母さん達にもかわいがってもらえて。。。 いつか、この日記を子供達がみるときがくるであろう。 そんなとき、自分が一人で大きくなったんじゃないって ちょっとでも思ってくれたら、嬉しいなっておもう。 だから。。。 子供達のために土日いそがしいことは 私にとっては本当に神様からのプレゼントだとおもっている。 大変だけど 子供達がまっくろになって帰ってくる顔を見るのが楽しみでしょうがない。 「今日は、良い動きができたよ!」 「今日は、ピッチングがうまくいったよ!」 彼らの満足した顔を見ると、 真っ黒な泥だらけの服もコーヒー色の靴下も やっぱり感謝なのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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