2017/06/25(日)21:26
いつか何処かで・・・。31
いつか何処かで・・・。31 倉敷は一日風もなく日が照らずどんよりとした時間が過ぎていった。梅雨にふさわしい一日だ。 この5年ほど倉敷の町に行っていない。という事はどこにも行っていないということになるが、家人を連れて県北の美作の湯郷温泉に行った。その記憶がもとで美作は「砂漠の燈台」の舞台にもなった。自然に囲まれた長閑にところだが、山林はやはり崩壊の一途をたどっていた。自然は常に自らが再生を繰り返している。木々は枯れて倒木し朽ちて自然に返る。その朽ちた土から芽を出して成木を目指す。花を咲かせ胞子を飛ばして新しい木々を広げていく。光と風と雨に任す。鳥たちが実を食べて拡散していく。その営みは地球が誕生した時から変わらない。 そんな自然の中で果たして人間はどうであろうか…。 今、古代の歴史は大きく変わろうとしている。例えば黄河文明より長江文明が古いという説がある。私はその文明には否定的である。中国が広大に見えるが、それは今を見て判断している。シナに限って言えば日本より遥かに狭い。イギリスも、ドイツも、フランスも日本より小さい国である。人口もイギリスが6500万人、フランスが5000万人、ドイツが7000万人位だ。さてシナにどれほどの人口があったのか、文明が栄えるほどの成熟した人々が住み成長があったのか、その遺跡はあるのか…。 マルクスの「国家の起源」に例えるまでもなく、古代にはみんなで食料を作るために土地を耕していた。農機具が改良され生産は飛躍的に増加する。他の鉱石とは違い鉄は地上に露出するほど多かった。これは地球が出来たときにすでにあったCO2と雨により酸化していた場所にあった。鉄の釜や鍬が作られたのはもっと古い時代だ思っている。それにより食料は豊富になり溢れていた。働かなくていい人が生まれ、山ら登り天と地の稜線を眺めて人間とは何か、という真理を考え始め、瞑想するようになった。人口が増えたために土地を確保するために戦う人も必要になった。人々を安心させるためでもあり、土地を拡大するためでもあった。それらを指揮する人たちが生まれ国家という組織が作られた。マルクスはそう書いていた。つまり農耕が規則的に始まって国家が生まれたと…。マルクスのかいたものが真実かどうかはわからない、貧乏な学者が食べる為にロスチャイルドに書かされた「資本論」があるので疑わしいともいえる。なぜ、ヨーロッパに古代の文明がなかったのか、それは常に戦いの場所であったからだ。国家が形成されていたか、あっても直ぐにつぶされていた。つまり国境というものはなかったという事だ。爾来、隣国とは仲が悪い、スイスが永世中立国を維持するために、徴兵制を敷き、国民に火器の所持を認めているのは敵に対する侵略への防蟻である。 まあ、これは世界の歴史家にお任せしよう。道がそれている。 私が言いたいのは人間と自然の共生、いや一体なのである。 今、自然がなすことに慣れてはいないか、これが当たり前と思ってはいないか。 花粉症で問題になっている杉と檜は自生したものでなく、人間の都合で植林している。自然のものならば花粉が飛ぶような繁殖はしない、人間が植えたから自然の受粉が出来ずより多くの花粉を飛ばさなくては繁殖しないのだ。これを一体とは言わない。人間は共生という便利な言葉でごまかす。 自然を尊ぶならば自然を管理するなという事だ、自然の再生に任す、良く自然に人間の管理が届かないから洪水が起こるというが、、それはどうか、山の頂上まで家を建て、一つの県の面積に等しいゴルフ場を作り、ダムを作り、人間の欲望のために自然を壊していれば当然だ。自然破壊を憂う、それは傲慢である。人間が作ったという事を忘れている。雷に依っての山火事、焼き畑は自然の再生を助けているのだ。 今、日本近海で魚が取れなくなったというがそれは当たり前のことだ。 考えても見てほしい、昔漁師たちはなぜ山に入りその生成にこだわったか、雨が降り山の表土を川に流し海を魚たちにとっての餌となるプランクトンを作ってくれることを熟知していたからだ。 静物にしても動物にしても時が来れば自らが絶滅をしてきた。それが自然の生業である。 人間はどうか、何か忘れていることはないか…。 アジサイが美しく咲いている、人の心と同じでいろいろに色を変えて、まさに人の心を代弁しているように…。 ルソーのことば「自然に帰れ」・・・それはモクモクと大地を耕していた無欲の時代への誘いと理解している…。