2017/07/09(日)21:23
いつか何処かで・・・。44
いつか何処かで・・・。44 倉敷は曇り激しい雨…。 この季節になると自然の災害が増える。 大雨と台風、日本風土はそれが特徴として成り立っていた。 昔からの神社仏閣は言い伝えにより災害が少ないところに作られている。それは風水とも一致するという。地震と台風にも崩壊されることなく今も威容を保ち存在している。 神社仏閣の雌雄には巨木が林立して風邪を防ぎ、根を張って地盤をしっかり捕まえている。これが日本の姿であろう。信仰の対象としてはあるものが常にあるということが原則なのだ。それがあることで安心して生きてきた歴史がある。 私は「砂漠の灯台」の中で、自然のままで放置されている森林を国家が買い国有林にすることを書いた。また、自然の自己の再生に期待してはどうかという提言もしている。さらに今の人間の進歩を、進化を止めることも書いた。 それは日本人ほど自然とともに生きた民族はいないという観点から生まれている。それは日本人の中に自然を精神の主軸にして生きたということだ。 それには日本国の生成にさかのぼりその時代を生きた人達の魂との交流し必要と思った。 古典の中にそれを見つめた。和歌の中に当時の世相と風俗、当時の人たちの心を探す旅をした。 花の色は移りにけりにいたずらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町
美しいの…綺麗じゃのう…ここからの眺めは極楽への道のりでふと立ち止まって須弥山を眺めておるようじゃ。
琵琶湖には沈み行き隠れてゆく夕日がさかさまに映りのみこまれ・・・。
緑の風が湖面に白い漣を立たせて…。その上を小さな生き物が飛んでおるようじゃ…。陽炎か・・・あれは…。
自然の景色の移ろいは何にもかわっとらん…。変わるは人の心か…。
穏やかな紅い湖面に映る周囲の山々も波が立つとゆれて変わっていく…。人の心も物思うとその時々で変わり行く…。三千の煩悩一瞬にしてまた変わり行く…。
人とはなんと倣岸な罰当たりの業を背負っているものか…。
嫌じゃ嫌じゃ…。何もかも忘却の川に流し…。
ひと時この風に誘われ自然の懐にあって癒され和むことにしよう…。
なにこのわしに聞きたいのは、京への道かそれとも越前への道かな・・・。
人がひと時のんびりと風と共に遊び心地よい夢を見ていたというのにそれを起こし、この現実に引き戻すとは何というお人じゃ。
人の世の苦しみから夢はひと時何もかも忘れさせてくれる・・・。
なに・・・。うん・・・うん・・・。
それは・・・それは遠い日のことじゃ。わしの空っぽの頭の隅に残っておるじゃろうかのう・・・。このばばがまたうら若い乙女であった時の事じゃゆえ・・・。
東山科の里から琵琶湖畔の小野の荘、この地は今日と変わらぬ時の日差しが降り雪いでおった・・・。
それは一日として変わってはおらん・・・。
長閑な日々の繰り返し、風たつ日、雨の雫の落ちる日、雪の舞う白い花びらの散るような日、陽が滾々と降り注ぎ心乾く日、それぞれがこの琵琶湖の美しさをより際立たせ、変化のある景色のさまを飽きることなく見せてくれましたぞ・・・。
あれは・・・。遠い古の思いを手繰り寄せ・・・。
今は人の影とてないこの館、風雪にさらされ朽ちゆき、館の外塀も破れて剥げ落ちて・・・。
夜盗にあらされ破れた簾が垂れ下がり・・・几帳は倒れて壊れこなごなに・・・。磨きこまれていた部屋の板の間は土煙が立ち・・・。
明かりをなくした屋敷はなんともおぞましいものでしょうかな・・・。
あの頃、この館は花が咲いたように・・・。 これは「小町うたびと六歌仙」に幕開きの一説である。 小町というのは女官の位を指している。局、更衣、町という名で呼ばれていた。小町は町の位の名前である。その小町がなぜ全国にわたりなおつけられているのか、ここには政変の犠牲になった小町の存在がかかわっている。 ここで書くと少し長くなるので、なぜ、そんなにもうまくない歌詠みが六歌仙に名を連ねているのか、百日通いの逸話が残っているのかは・・・。 次回に書きたいと思う…。 常により中の不条理によってその犠牲になった小野小町をなぜ書いたか、私は三島由紀夫氏の「卒塔婆小町」を読んではいない‥。 小町と平安の初期に遊び話すうちに小町を想像して書いた…。