yuuの一人芝居

2017/09/02(土)21:53

明日は今日より素晴らしい…。10

明日は今日より素晴らしい…。10   倉敷は30度だがどことなく秋を思わせる風が流れていた。私のいる部屋は年中25度にエアコンを設定していて止めてはいない。金のことはさておいて快適を一番に考えている。 そんな中、私の暑い夏は終わった、が、世間ではまだ夏の日差しは厳しい。 8/22に本を出版し、地元の図書館に配布、読んでくれると思われる知人に贈呈した。ふらふらとなりがら送付したり、友に届けたりで疲労は頭痛と不整脈で現れたがいつか南限は死ぬと思えばやれるものだ。 私の夏は終わった。 厄介に事はFMラジオから出演要請がある。もともと外に出ることの嫌いなも人前に出ることが苦手な私にとっては責め苦でしかないからだ。これも長年田舎町の倉敷で生きていたから多少の付き合いや世話になっている手前断われなかった。 「砂漠の燈台」は私の手から離れて独り歩きをしている。意外と淡泊にとらえその作品が持つ命に託している。また、売れるとかという願望もない。ではなぜ出したのか、遺書として完成させる葬式だと思っている。 人は私の遊び人の人生はうらやましいと言い楽しかったでしょうという。 私は「はい、楽しく生き、書き、勝手に過ごし申し分はありません。やらなくてはならないと決めたことはすべてやり遂げました。おまけといえば語弊がありますが、書いたものは「日本演劇協議会」に登録され、公演のテープやDVDは文化庁の要請で早稲田大学が保存してくれています。私がかかわった「財団法人舞台芸術財団演劇人会議」は日本と世界の演劇をつなぐ役目を果たしています。テレビも映画の仕事も十分させてもらいました。 小学生のころ近くにあった駅舎の庭の大きくそびえる銀杏の木との約束は果たしました。思い残すことはありません。 被害者といえばこんな私と連合いになり、こんなはずではなかったと思う家人くらいで、ほかの人には迷惑はかけなかった。それがせめてもの僥倖か・・・」 今回の出版はおまけ…。いいえ、道楽者の贖罪か…。男の純情か・・・。 この本も出版社との縁が切れたら著作権は放棄することにしている。今まで書いたものはすべて放棄している。 作者は書いたものに責任を持つが、一人で歩きだしているものに対してまで面倒は見切れないということです。 いい日旅立ち、可愛がってもらえればこれに越したことはない。 ただ、それをも守るだけ…。 それは書いているときに至上の喜びをもらったものとしてわがまま、執着はよくないと思っているのです。   今、ようやく書くことができる気力がわいています。ここには覗いても書き込みはしませんでした。   新聞というものに対しては出来た時から国民を洗脳し先導する道具でした。それは歴史を振り返ればわかります。 まず期待をしないことにつきます。 日本国憲法は日本国民のために作られてはいません。アメリカ、シナ、北朝鮮、韓国、ロシアのものなのです。なぜかというと国民を守るという文言は一言も書かれていない不思議な憲法です。9条を守れと言っているのはそれらの手先です。 今、稀代の総理がそれを変えようとしている、その真意に賛同して支援するのがこの国民の愛国心です。 白人社会のキリスト教はどんな悪行狼藉をしたとしても勝てばそれを正義とするものです。歴史を見ていただくとその矛盾がよく見えてきます。 報道の欺瞞とキリスト教の教義ではなんでもできるということです。 さて、日本人はどうか、性善説と限りない愛とやさしさを持ち、教養は世界で一番高かったが、今はどうか…。この国をリードするという知識人、文化人たちは偽物です。責任と覚悟という言葉を知りません…。 また、金がなくては生きられない人間になっている、生き方を知らない人たちの群れです。   そんなことを考えて過ごしています。 私は、今の世界の進歩を止め人間は進化するなと書きました、そうでなくては人類は滅亡するからです。   京都の真ん中を流れていた川を東に運河を作り変えています、それを加茂川として…。なぜ、平安京を作る前でした…。   人間は文明を作りその文明によって滅んでいます、その輪廻が続くのです…。   明日は今日より素晴らしい…といえる明日があることを思いながら書き進めました…。

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