2006/02/12(日)22:05
自分の行動は、何のために?
「喜んでもらうために」
「褒めてもらうために」
これは、似ている様で全く違う。
カインは地の産物を、アベルは羊のういごと肥えたものとを主にささげ、主はアベルとその供え物とを顧みる(旧約聖書「創世記」より略して抜粋)。
・・・カイン、かわいそうじゃないか。
無視された。しかも神様に。カインだって、供え物をささげたのに。
ひっどーい!
と、ずっと思っていた。
聖書、言葉足り無すぎ。
アベルは「主が一番喜ぶものを」ささげ、カインはそうではなかった、ということなのね。きっと。
大人になった今読んでも、(少なくとも私にとって)ここの解釈は難しい。
相手が何に喜ぶかなんて、超能力者じゃないからわからない。
自分にとって「一番」と感じるものを捧げても、相手がそれを大嫌いだったら嫌われてしまう(^^;
カインが明らかに手を抜いた、という記述はないのよね~。
こういうのを読解力がない、というのかしら?私にはわかりません。
ただ「褒めてもらうため」よりは
「喜んでもらうため」
に動いたほうが、相手も自分もハッピーだ、ということだけは、やっとわかるようになってきました。
「だれもが喜ばんようなことは、せんほうがええ」
・・・ふと、この言葉を思い出しました。
(退職を申し出たときに言われた言葉)