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最近あまりに気持ちが停滞前線で困ります。
年齢を重ねた事もあってか、あまり情熱的・感情的でなくなってしまったのかもしれません。 感情は恐ろしいパワーを持っていると以前書きましたが、感情が湧かないと言うのは人に対しても深い感謝の念を感じられないなど良くないことだと思います。 人を愛する事も今後できないのかもしれません。 普段どんな事にも興味しんしんな自分が今は外部のものにほとんど興味が沸かないのです。 別にどうでも良いし、と。 心が動かない。 人って一人で何もしないでいると心が固まっていくと思う。 先日先輩の家にお邪魔したが、先輩も外部に対して疎く、腰が重いとおっしゃってた。 人と言うのは常に新しい情報(人・モノ・環境)に触れていないと、幸せであれないのだなと思った。 やはり金があるだけじゃ幸せになれないんだな、と実感した。 リスクをとって金を手に入れるプロセスと瞬間瞬間の達成感が幸せをもたらすのだ。 先輩は僕の3つ年上なのだが、すでに一生贅沢して生きていける程の蓄えがある。 渋谷と言う喧騒の中にありとても静かなタワーマンションの一室に一人で何もせずに暮らすと言うのはどんな気持ちだろう? お金を持って欲しいものを全て手に入れ、海外にも何度も旅行に行っても人は飽きてしまう。 人生は長い。 人生一生、常に暇つぶしできる状態でいたいものだ。 「人は良くも悪くも慣れ(習慣)の生き物だ、人生暇つぶし」 と言うのは最近の自分のお気に入りの理論。 どんなものでも人は慣れるし程度の差はあれど飽きてしまう。 逆にうまくその能力を使えば、何でもできるとも言える。 立派な経営者になりたければとにかく経営者になっていまい、持続すれば慣れてしまう、というか慣れざるを得ない。 自分を飽きさせないために、常に困難に自分をぶつけてく。 その過程で自ら成長し、新たなレベルの困難が立ちはだかる。 ゲームと同じ。 神様はその人が乗り越えられるだろう困難をその人に与えるとはよく言ったものだ。 人生を彩るためには、その可能性をできるだけ広げておくべきだ。 それには自分の能力を高めておくことも重要だ。 人脈も広げておくことも重要だ。 そのうちどんどん複雑化していき、どんどん困難が降りかかるだろう。 しかしそれを乗り越えていけばいくほど、成長し、更なる困難を用意してもらえる。 そうすることで人生を飽きさせずに寿命近くまで充実させていける。 そう考えると安定を求める人が多いと言うのは本当か?と耳を疑いたくなる。 飽きてしまうぞ、と。 人生は長い。 飽き飽きした時間を過ごすなんて、無駄だ。 この地球・宇宙上にネタというのはどれくらい存在するのか俺はわからない。 でもたくさんあって欲しいと願う。 自分を飽きさせないだけの質と量ネタ。 今の自分には、停滞することの慣れのせいで、そうしたネタに対して実感値をもってリアルに想像したり、見る事ができないのだろう。 もっと実感をもてればワクワクするはずだから。 そうした場合何から始めたら良いだろう? 魅力的な何かに出会えれば。 しかしそうしたもののほとんどは大抵自ら生み出さなければ手に入らなかったりするのだが・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.15 02:34:10
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