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大坂 逢坂 大坂
明治維新後の1868年、もとの大坂三郷に大阪府が置かれたそうです。 この頃、元来は大坂と書いていたらしい「おおさか」は、大阪と書くのが正式となったそうです。 理由としては、大坂は明治維新直前、幕府軍の拠点であり、士が反く(武士が叛く)という意味に繋がるということで、縁起が悪いということで変名されたとあるらしいです。 郡区町村制が施行されると、大阪三郷は大阪府のもとで北区・東区・西区・南区の4区に編成され、1889年には大阪府管内の大阪市となる。 大阪市はその後周辺の町村を合併して現在の領域に広がったとの事。 一方、大阪府全体を見ると、府は周辺の県を統合した後、1887年に奈良県を分離して現在の大阪府の領域となった。 この結果、元来は都市名であった大阪の地名は現在のように広域を指すようになった。 一方、明治維新の直後は廃藩置県によるいわゆる「大名貸」の貸し倒れや地租改正による金納化(結果的には農民による米の自由売買につながった)によって大阪経済は大打撃を受けたそうです。 だが、経済産業の近代化とともに次第に西日本経済の中心地としての地位を確立していくことになりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014/02/09 07:06:26 AM
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