アメリカ發見で名高いコロンブスは、イタリアの海岸に生まれ、海が好きて、十四の年から船乗になりました。其の頃はまだ地理の學問が開けず、又さまざまな迷信などがあって、遠くに航海する者はありませんでした。
コロンブスはいろ/\の記録や報告を深く研究して、大地は水と陸とで出来てゐて、其の形は球のやうなものに違ひないから、ヨーロッパから西に向って、どこまでも進んで行けば、きっとアジヤの東に逹することが出来ると言出しました。しかし、其の頃の人は大地は平たいものとばかり思ってゐたので、コロンブスの言ふことを誰一人として信じる者がなく、あざけり笑ふばかりでした。
コロンブスはそれに少しも屈しないで、熱心に研究を積んで、いよ/\自分の考へてゐることに間違がないと信じました。そこでどうかしてそれを實行しようとしたが、自分にはとても航海の費用を出す力がなく、さりとて事業を助けてくれる人もありません。いろ/\苦心したけれども、久しい間、其の志を遂げることが出来ませんでした。後にイスパニャの皇后イサベラに知られ、其の助を受けて、やっと年来の志を賓行する時節が来ました。そこでコロンブスは喜び勇んで、三ぞうの船に百二十人の水夫をのせ、イスパニャを出帆することになりました。
それから大西洋を西へ/\と進んで行ったが、日敷がたつても、陸地の影さへ見えません。水夫等は、このさきどうなることかと、次第に恐しくなつて、このまま引返さうとコロンブスにせまったが、コロンプスは落ちついて、いろ/\水夫等をさとしました。かやうにして進んで行くうちに、陸地が見えたと喜んでゐると、それは雲であったことが度々てありました。水夫等は失望して、もうとても辛抱しきれず、コロンプスがどうしても引返すことをきかないなら、海の中に投げこまうとたくらんだ者さへありました。けれども、コロンプスは忍耐の心の強い人であったから、さわいでゐる水夫等を慰めたり、おどしたりして、なほさきへ/\と進んで行きました。出帆後七十日たつて、遂に新しい島を獲見しました。これが今のサンサルバドル島です。それからコロンプスは一たんイスパニャヘ歸つて、このことを皇后に報告し、其の後、何べんも航海して、とう/\アメリカ大陸を發見することが出來ました。
『国民の修身』監修 渡辺昇一