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私はあるきっかけから、未来予測に関する興味がわいてきて、易も、四柱推命も、方位学もそのために勉強しています。ですから、図書などについても、未来を予測するのに助けになる、あるいは現在を理解するのに便利な書物を嗜好する傾向があります。
今日からは、タイトルだけで書籍を選んでみました。 PHP出版から出されている、日下公人先生の『すぐに未来予測ができるようになる62の法則』について、勉強してみようと思います。 1 普及率の法則 1-1 流行の順番 すべては普及率であるという話から始めてみよう。その「基本」がわかっていないと、世の中 の実際の姿を正しく把握できないと思うのである。 この話の結論は「理念より普及率」になるから、一般の常識とは少し違ったものになる。 一般の常識は「理念はその正しさにより普及する」というものだが、それは事の半分で、「普及率にはもっと奥深いそれ自身の原因がある」と私は思っている。 だから「正しくても普及しないことがあるし、正しくなくても普及することがある」のであり、それがわかったとき、その人は学生を卒業して大人になると思っている。 以下は、普及率の根本にあるものについて考えたことの一端である。 モードとファッションの違いをご存じだろうか。 モード、ファッション、スタイル、礼服という言葉の違いは、流行の「順番」を表したものだ。新しい様式が最初に出てきたときが「モード」で、やや時を経て世間に広がった状態が「ファッション」と呼ばれる。さらに時を経て大多数が採用すると、これが「スタイル」。そしてスタイルとなったものの一邪は、最後には日常生活とほとんど無縁の礼服」となり、しだいに社会から消えていく。 たとえばネクタイである。歴史的に見ると、古くは古代ローマ時代の軍人が用いた首巻が起源とされているが、現代のネクタイの直接的な起源は、クラバット(cravat)――つまり、十七世紀に外人傭兵としてパリにやってきたクロアチア人の首巻であった。 当時のパリジャンにとって、このクラバットは、いかにも田舎者の粗野なオシャレに見えたことだろう。だが、上流階級の一部のモノ好きがこれに飛びつくと、ネクタイは先端のモードとして、フランス社会に登場することとなった。 以後、このクラバットに磨きがかけられ、レースや刺繍をしたスカーフ状のネクタイが登場し、結び方の新工夫などもあいまって、これがフランス貴族社会のファッションとして流行するようになった。 ところが十九世紀になると、国際政治と同様、男性服の流行の主導権も大英帝国が手にするようになり、ここで極寒のイギリスの風士に適した改良が行われ、アスコット・タイを経て、いまのような帯状のネクタイが開発されたのである。 しかも、当時の英国人に対する信頼感は、「ジェントルメンズ・アグリーメント(紳士協定)」という言葉に代表されるように、絶大なものがあった。英国紳士の口約束は絶対で、商取引に関しても、契約書がなくても違約される心配はないというくらいの信用が当時はあった。 そこで、この英国紳士のスタイルが世界中に広まることとなった。「私も英国人と同じように信頼を第一義として仕事をする人間です」という証明書代わりに、ネクタイは各国のビジネスマンの間で急激に受け入れられ、ファッションからスタイルヘと定着した。 最近ではこのネクタイも、いささか礼服的な傾向を見せつつある。アメリカ西海岸のベンチャー起業家たちは、暑くるしいネクタイよりカジュアルなTシャツやジーンズを愛用する。日本でも、ネクタイをしていたのでは若者に受ける商品は開発できないと考え、カジュアルデーなるものを取り入れた企業も多い(……いっせいにカジュアルな服装をせよとは、それもまたいささか画一的なのだが)。 また作家、画家、デザイナー、出版社、TV関係者といった創造的な分野に身を置く人は、本質的に画一化されたスタイルを嫌う。つまり、先端的な企業や業種にあっては、ネクタイの着用のみならず、背広も 冠婚葬祭など特別なときに限られるようになり、すでに背広は礼服としての扱いを受けている。 こうした経緯を最も象徴的に示しているのが学生服の変化だろう。尾崎紅葉の「金色夜叉」で、間貫一が熱海の海岸でお宮を蹴飛ばしたときに着ていた学生服は、当時はそれこそキザなモードであった。だが大正時代になると、胸に五つの金ボタンは粋なファッションとなる。以後、昭和に入って学生数が増え、ほとんどの学校が学生服を採用するに及んでは当然のスタイルとなり、昭和三十年代までは学生といえば学生服を着るものと相場が決まっていた。 だが現在、どこの大学のキャンパスに出かけていっても、学生服姿を見つけることはむずかしい。どうにか神宮球場の応援団席で見つけることができる。……学生服は、応援団の晴れの舞台の礼服となった。 ネクタイや学生服のような長期サイクルを挙げたが、もっと短期のサイクルでも、流行は必ずこの順番をたどる。この経過は、ひとり衣料品の流行のみに限らない。 すべての文化(経済学の見地からいえば消費財)は、みなこの経過をたどるのである。そこで話はもとに戻る。自然科学はさておき、社会科学の理論や学説は主唱者のふれこみはさておき、それを受けとる社会の側の扱いはほとんど消費財のそれである。 で、社会科学の学説にもモードやファッションやスタイルがある。礼服もある。 特に経済学にはそれが顕著であり、あえて言えば経済学全体が今はスタイルから礼服への扱いを受けている。 昔、マルクス経済学は外国輸入の過激思想として若い学生の人気を集めたが、いつの間にか、国立大学が教えるものとなり、国家試験の問題にも出るようになっては魅力を失つた。 サミュエルソンの経済学も同じコースを歩んでいる。若々しいモードとして登場したが、今は試験に出るから学んで身につけるという、いわばスタイルになっている。 やがては礼服化するだろう。若い人はすでに礼服だと思っている。しかし、中高年齢の教授はいまだにファッションだと思って熱心に教えている。これは、その人が新しい勉強をしているかどうかのリトマス試験紙に使える。 以上、理論も学説も内容に対する評価以外に、普及率による評価を免れないということを指摘して先に進もう。 『すぐに未来予測ができるようになる62の法則』(日下公人氏著、PHP出版)より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.02.20 00:00:17
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