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四六億年前に地球ができたときに、現在、私たちが使っている鉄や銅、そして石油や天然ガスはまだ存在しないか、あるいは薄く散らばっていたと考えられています。そして、地球の大気が徐々に変わり、地殻が運動し、海の生物が活動するようになると、気の遠くなるような時間の中で少しずつ少しずつ、人間に有用な資源を集めてくれたと推定されています。
鉄は鉄鉱石から取りだされますが、地殻の活動や、海に棲んでいた太古の昔の原始的な生物が鉄を体の中にため込み、ある場所に集中して死んで堆積したものが鉄鉱石になりました。銅も金も地殻運動をとおして鉱石になったものです。石炭は太古の昔の植物が倒れて地中で炭化したものですし、石油は海の生物が大量に死んで堆積したものが、圧縮され高い温度で油になったものと考えられています。 このように、油田には石油が、鉄鉱石の中には鉄が比較的高い含有量で含まれていますが、その量は自然界に散らばっている石油や鉄の平均的な量に比べて圧倒的に多いのです。そして、当たり前のことですが、それらの資源は、自然が、人間が使うためだけに集められたものではありません。集める過程では自然の原理が働き、銅の鉱石中には「銅と親しい元素」も一緒に集められました。 つまり、「類は友を呼ぶ」といってもよいですし、「親しいもの同士が一緒になる」といってもよいでしょう。 銅の鉱石を分析するといろいろな元素が入っています。日本でおなじみの銅鉱石である「黒鉱(くろこう)」では、わずかではありますが金や銀といった人間にとってはとても貴重なものが含まれています。もちろん、人間が金や銀が好きだから銅と一緒に地中から出てくるのではありません。金や銀が銅の「親戚筋」に当たる元素だから出てくるのです。しかし、同時に三・五% の銅を含む黒鉱には有毒な鉛が五%、イオウは二七%も含まれていますし、少量ですがヒ素もあります。また別の銅鉱石ですが「硫砒銅鉱(りゆうひどうこう)」というものが知られています。これはCu3AsSという組成のもので、もともと銅とヒ素とイオウの化合物です。 「どうしてこんなものが含まれているのだ」と疑問に思われるでしょうが、自然は科学的な原理にしたがって、銅と金銀、鉛、イオウ、そしてヒ素を一緒にしているだけで、人間の健康との関係を配慮して銅鉱石を作ってきたわけではないからです。 これに対して石油は大昔の生物の死骸(しがい)が原料となって、油化したものですから、銅や鉄に比べれば私たちの体に近いものともいえます。それでも原油にはイオウやバナジウムが多く含まれています。これらの元素は、大昔の生物の体の中にあったイオウやバナジウムが石油の中に入ったもので、その生い立ちから考えれば当然です。 現在の多くの生物は私たち人間も含めて、鉄を血液中の酸化還元剤として使っていますが、古代の生物はバナジウムを血液中の酸化還元剤として使用して呼吸を行っていました。美味しい海の生物の一部に今でもバナジウムを酸化還元剤に使用している生物もいます。 もちろん、だからといってバナジウムを含む海産物を食べて危ないということはありません。普通は食べる前によく洗いますし、もともと濃度が低いのでさして問題ではないのです。しかし、毒性の弱いものでも蓄積して高い濃度になれば毒性を発揮します。 つまり、「生物の体の中にあるのだから」とか、「自然の中にあるものだから」ということとそれが「人間にも安全」ということとは全く別のことです。天然のフグは安全だと思って調理せずに食べれば、死にます。生物は貪欲ですから、人間に有毒な元素をどんどん使って生きているものもいるのです。 もともと私たちが使う製品の中には多くの毒が含まれていました。昔は漆(うるし)の薬剤としてウランが使われていたことがあり、女性の化粧品にも水銀などの毒物が使われていました。それでも、さすがに最近では直接肌に触れたり、食器に使うものに毒物を使用することは少なくなりました。すでに水道管に鉛を使うことはなくなりましたし、おもちゃ製品や弁当箱などに使用するプラスチックも注意が行き渡っていてとても安全になりました。その点では、すでに現在、私たちの身の回りにある工業製品の多くが安全な状態で使われているといってもよいでしょう。 それでも、電気製品や自動車のように、私たちが食べたり肌に触れたりしないものには毒物が使われています。電線をつなぐハンダには鉛、時刻やチャンネル番号を表示するものにはヒ素、という具合です。特に、毒物が含まれているということがよく知られたものに電池があり、マンガン、水銀、カドミウムなど毒性を持つ元素や、人によってはアレルギーを起こすニッケルなどの元素が多く使用されています。それでも今のところ「電池を使うのは止めよう」という人はそれほど多くありません。 肌に直接触れたり、食物に使うようなものを別にすれば、工業製品に使う材料に少量の毒物を使用するのはやむを得ないし、また製造に注意して安全に便利に使うこと自体が人間の知恵だからです。 「私たちは毒物とともに生活をしているのだ。毒物の恩恵を受けているのだ」ということを少し踏み込んで考えるために、具体的な例としてテレビのブラウン管を取り上げます。 テレビのブラウン管は大きく三つの部分に分かれます。私たちが目にする前面のパネルの部分と、中間のファンネル、そして一番後ろのネックの部分です。それぞれが温度や放射線からの防御などの要求で、ガラスの組成が違っています。前面のパネルに使用されるガラスは普通のガラスの成分であるシリカ(二酸化ケイ素)が六〇%程度入っており、それにストロンチウム、バリウム、カリウム、ナトリウムなどが入っています。透明性、色や光の関係、熱膨張率、そして子供がブラウン管に手をついても、破裂しないような安全性などに工夫が凝らされています。 中間部分とネックの部分のガラスは鉛ガラスで、主成分のシリカは半分程度しか使われていない代わりに、鉛が三〇%前後使用されています。これは強度、熱膨張率の他に、テレビから出る放射線を防御する役割も担っています。ガラスというのは粘土や石の成分と同じでシリカでできていますので、それが五〇%というと、かなり低い含有量であり、特殊なガラスがブラウン管には使われていることがわかります。 鉛は毒物ですから、このように大量の鉛を含むガラスをテレビのブラウン管に使っているのかと驚く人もいると思います。しかし、一方では鉛は人間の生活にはなくてはならない金属であることも納得できます。テレビのブラウン管ばかりでなく、自動車のバッテリーや金属をつなぐ ハンダから「絵の具」のような日用品まで広く使われています。鉛の製造メーカーや電気製品・鉛蓄電池・自動車メーカーはもちろんそれを十分に理解して慎重に製造し、取り扱っています。 昔はなんでも自分で作って生活をしていました。その当時からある程度の毒物は使用していました。フグの毒をさけてフグを楽しむ知恵を持っているように、危ない元素や化合物を巧みに使い分ける知恵を持っていたのです。考えてみると昔は作るのも自分、使うのも自分でしたので、さして問題はありませんでした。しかし、現代は分業が進み、自分の使っているものを自分で作ることは希です。その結果、ときとしてある人が自分で恩恵を受けながら、それを非難するというわがままなことが起こります。 もちろん本人も気がついていないのですから悪意ではありません。しかし、「鉛」という材料も現代生活になくてはならぬもので、鉛がなければテレビも見れませんし、自動車にも乗れません。鉛が毒があるからといってすぐには排斥はできないわけです。 人間の能力には限界がありますから、自然界から人間に毒でないものだけを取りだして使うことは現実的には無理でしょう。テレビのメーカーも自動車のバッテリー製造会社もそのことはわかっています。私たちにできる最善の方法は、工学を進歩させて徐々に毒物から遠ざかることなのです。本当に重要なことは、「天然からの資源」には有用なものと毒物が混ざっていることを認め、全体として人類の役に立てるには、いかにすべきかということを考えてみることでしょう。 鉛はメーカーで十分に注意されて製造され安全な状態にあります。多くの毒物は毒物として管理され、環境を汚さないように十分な注意がされています。そして私たちは毒物はキチッと管理され安全な状態で「毒物の効用」だけを成就できる環境にあります。皮肉なことに、むしろそのことによって、私たちは自然界に毒物がないと錯覚しているところがあります。それが結果としてリサイクル品の中にある毒物の存在を気づきにくくさせてしまっているのです。 『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.06.11 00:00:17
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