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分別が環境を守ることとは逆方向であることがわかりました。
そして、現代の製品の多くがそうであるように、製品の完成度が高く、複雑で付加価値の高い製品ほどリサイクルが難しく、リサイクルによって環境を汚す指標であるリサイクル増幅係数が高くなります。そこで廃棄物は大型のものも、家庭電化製品も、自動車もすべて「一緒に焼却」して灰を貯蔵する」のが一番良いことになります。もし分別が適切な製品をピックアップするとしたら、「自動車」や「エアコン」などに限られます。その他のものは分別すればするほど資源が失われるので、できるだけまとめて焼却するのが適切です。 しかし焼却するとダイオキシンが発生したり二酸化炭素の発生で地球湿暖化が進むと心配する向きもあります。廃棄物の焼却には歴史的な問題があり、その誤解を解くことは容易ではありません。それはこれまでの焼却の基本的な考え方が間違っていたことによります(先に説明しましたように「焼却はリサイクル」という定義がありますが、本著では「焼却はリサイクルに入れない」ことで統一したいと思います)。 昔、焼却は焚き火から始まりました。燃えるものがあるとそれに火をつけて燃やす、ただそれだけだったのです。したがって、燃やすときの湿度も「成り行き」でしたし、焼却して出てくる煙やガスは「少し臭い」程度のことで、特別の関心もありませんでした。そういうふうでしたから、焼却の条件をコントロールするなどということはなく、そのまま今日まで続いてきました。 しかし、大量に廃棄物を焼却するときには、その量も中身もすっかり変わっていたのに、社会はそれに気づきませんでした。そのためにまず、塩素や臭素が入った廃棄物を低湿で焼却してダイオキシン騒動が起こりました。もちろんできるだけ塩素や臭素を使わない方がよいことはよいのですが、人間はある程度毒物も使用し、それをうまくコントロールする文化を持っています。 「ゴミの焼却」というものを少し離れて見ますと、立派な化学工業なのです。原料は可燃性物、反応は酸素、そして多少の触媒や装置が必要です。どんな化学工業でも原料と反応物を反応容器にいれて「成り行き」で反応させれば目的物を得られないばかりか、多くの場合に有毒物質を発生したり、目的物以外の副生成物が大量に生成されます。それを避けるために反応容器を慎重に設計し、反応条件を綿密に研究するのです。たとえばNHKで放映した千葉のプラントは実績のあるものですが、ゴミが酸素と触れる場所の温度を二〇〇〇℃程度にして、ガスの通過点は一六〇〇℃程度にすれば、ダイオキシンはもちろん、その前駆体になりそうな化合物も見あたりません。再合成によって有毒物が出る可能性も科学的に否定されます。 このような「反応型燃焼装置」あるいは「ガス改質型焼却装置」で三〇万人程度の市を想定して現実性があるかについて簡単な計算をしてみます。ゴミは分別しないでまとめて焼却するとします。 標準的なランニングコストは水や電力などの費用がキログラムあたり二円、補助的に使用する材料や修繕費が一二円、人件費が二円程度でおおよそゴミ、キログラムあたり七円程度です。一方、設備費をどのように計算するかは難しいところですが、最初に一五〇億円程度かかるので、これを一五年から二〇年使用するとキログラムあたり九円程度になり、合計して一六円というところです。これは現在より安価です。 このようなガス改質型焼却装置では電力や燃料ガスが副産物として出ますので、それを勘案するとさらに安くなり、現在のゴミ財政はさらに改善されますが、そのような経済的な視点だけで考えるのではなく、工学の視点から「ゴミというのは反応型のガス改質型焼却炉で処理するのがもっとも優れている」という本質的な見方が大切でしょう。 自分たちが使ったものは自分たちで合理的に処理するという考えをしっかり持ち、「何とかうまくやろう」などと考えないことです。真正面からしっかりやりたいと思います。 このように「燃焼」を「化学反応」と捉えて、その条件を絞れば焼却で毒物が発生する危険性はありませんし、その方がリサイクルをするよりも極めて簡単に私たちの目的を達成することができます。 また、炭素を含む廃棄物を高炉などに持ち込み、鉄の還元反応に使うという計画もあります。焼却しないので二酸化炭素の発生量が少ないとか、ダイオキシソの発生がないなどの理由で期待されています。しかし、計算によると、微粉炭などを原料にすることと比較してリサイクル品を使用すると、天然原料に対して五〇倍程度の環境負荷があると見積もられています。また製鉄の高炉を全国津々浦々に建設することはできませんので、遠くから高炉にゴミを運搬することになり、その点でも環境を汚す可能性があります。 「ゴミは焼却炉からダイオキシンが出る。だからゴミは焼却しない方がよい。だからどんなに環境負荷が高くてもそちらに回す」という考え方をとるのは問題でしょう。つまり、第一にゴミを焼却しても条件さえコントロールすればダイオキシンは出ないこと、第二にダイオキシソがどの程度の毒性を持つか冷静に判断しなければならないこと。そして、第三に「環境負荷が五〇倍かかる」ということは、「ゴミを処理できるのだからよいじゃないか」ということではないということです。経済的な議論はともかく、環境と資源面から成立しません。 私たちは科学の恩恵を受けて健康で文化的、そして何よりも歴史的にも人類始まって以来という長い人生を楽しむことができるようになりました。化学プロセスの原理をよく咀嚼して、本当に私たちの役に立つように廃棄物の処理を行ったらよいと思います。 これまでに説明しましたように、使い終わったプラスチックを元に戻すには高分子の鎖をつなぎ直さなければなりません。それは不可能なことですが、燃料として燃やせば新品のプラスチックも使い終わったものも同じ量の熱を出します。石油もほぼ同じ熱量です。そこで、廃棄物はリサイクルしないで焼却するのが適切ということになります。 この理由を順序を追って整理します。 第一に日本の国内には石油資源がありません。すべてアラブ諸国などの外国に頼っています。できるだけ石油の使用量を減らすことは環境的にも、また生活を防衛する意味でも大切です。 第二に、石油を全部輸入に頼っているにもかかわらず、輸入原油の約九割を電力や輸送の燃料として燃やしています。これを「石油の生炊き」といいます。なぜ「生炊き」というかというと、せっかくいろいろなものとして使える石油を何にも使わずに燃やしてしまうので、「もったいない」という気持ちを込めてそのように呼んでいます。 第三に、プラスチックは石油から作られますが、新品のプラスチックも使い終わったプラスチックも燃やせば石油とほとんど同じ熱を出します。 この三つの基本的な環境を頭に入れた上で、数字をチェックします。現在、日本に輸入される石油は年間約三億トン、そのうち、プラスチックに使用されるのは一五〇〇万トン、その他、さまざまな用途に使われる量を差し引くと、燃料として輸入原油の約九割にあたる二億八五〇〇万トンが燃やされます。日本の環境と国力を考えますと、理想的な原油の使い方としては、 一、輸入原油をできるだけ多くプラスチックにする。 二 、使い終わったプラスチックを他のゴミと一緒に全量焼却して、その熱を電力として回収する。 三 、使い終わって材料として使えないプラスチックはリサイクルしない。 が一番よいでしょう。使い終わったプラスチックが電力に変わりますから、現在、三億キロリットル輸入している原油は二億八〇〇〇万キロリットルに減少する計算になります。もちろん、使用したプラスチックは全部は回収できませんが、方向としては可能であり、好ましいものです。 「プラスチックをリサイクルしないで、焼却すれば二酸化炭素が出る」という心配も聞かれますが、日本に原油を三億キロリットル輸入してプラスチックを中途半端にリサイクルするよりも、プラスチックを焼却することに決めて原油の輸入量を九割に削減した方がよいのです。 このような簡単な理屈が通らないところにリサイクルの問題の「よじれ」があるのです。原油は資源的に「遺産組」に属していて限りがあるものです。プラスチックは私たちの生活に利便性をもたらします。できれば、輸入原油のすべてをプラスチックにして、一度国民がその利便性を享受し、その後、焼却して燃料として使うのが合理的な方法であり、かつ環境にも優れているのです。 反対に、プラスチックをリサイクルして「材料」として使おうとすると、リサイクルする材料の数倍の石油を消費するのですから落ち着いた判断とはいえません。「石油の生炊き」という言葉がズッシリと胸に響きます。 『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.07.02 00:00:19
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