「専門家」という概念は中世のヨーロッパで明確になってきました。牧師、弁護士、医師などが最初の段階での専門家でした。牧師は心が痛んだ人を等しく救い、弁護士は社会で不当な取り扱いを受けた人を助けました。そして医師は戦場であっても、いつどこでも患者の命を救うことのみに全力を注いだのです。
つまり、「専門家」とは(括弧は医師の場合を例にとっています)、
一、普遍的法則に従う(たとえば、医者の場合は医学)
二、長期間高度な訓練を積む(医者としての訓練)
三、不特定多数に対して責任を持つ(敵兵でも助ける)という集団です。
したがって、国立病院の医師は国家に雇われていても敵兵を殺すことはできません。国立病院の医師という以前に専門家としての医師であり、それは「不特定多数」すなわち「人類」に責任を持っているからです。
さて、環境やリサイクルに関して研究したり、国の委員会などで意見を述べる人たちは「専門家」でしょうか?
おそらく、現代流の解釈では専門家としてよいだろうと思います。環境や材分離などの学問の普遍的法則にしたがっていること、それらに対して長期間高度な訓練を積んでいること、そして国民という不特定多数に対して責任を持つこと、です。
リサイクルや環境の専門家がこの三つの条件を守って仕事をするためには、「専門家」としてまずその身分が保証されていなければなりません。戦場の例では、国立病院の医師が敵兵を助けたからといって解雇されないのは当然です。医師は医師の倫理で行動して、それが国家の意思と異なっても罰せられないのが専門性を発揮するための前提です。
これと同様に、国立研究所に所属している環境の研究者が専門家とすると、国の方針や通産省、厚生省などの具体的な施策に反して「リサイクル反対」、もしくはもっと極端に「このような政策は進めるべきではない」と発言してもよいのです。それがその研究者の研究に基づいており、専門家の信念として示されたものなら認められます。そしてそれに対して国はその人を国立研究所から追い出したり、不当な差別をしてはいけないのです。
しかし現実にはなかなか難しい問題があります。国立研究所にしても、国立大学にしても、ある程度国の管理下にあり、特に最近では研究費の分配によっては身分の保証された大学教授であろうと実質的に活動を封じられることすらあるからです。
『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より
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最終更新日
2022.07.27 00:00:21
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