|
カテゴリ:カテゴリ未分類
設計寿命まできちんと使い切る
「ものを豊かに使いたい」という希望と「資源を枯渇させず、環境を守る」という要求の両方を満足させることはできるでしょうか? 解決方法は三つあります。 その一つは「気に入ったものを買い、共白髪まで使う」ということです。たとえば家庭電化製品の平均的な設計寿命は一一年から一二年程度ですが、実際に捨てられている時期はおおよそ六年目です。つまり現在の製品は設計寿命の半分程度で捨てられているのです。環境を良くするための行動の第一段としてメーカーの設計通り使うこと。それさえすれば、資源もゴミも半分になります。設計寿命通りに使えば良いのですから、ゴミ問題もそう考えるとまずは気が楽になります。 さらにメーカーの設計寿命というものは、メーカーの責任もありますから厳密に性能が満たされることが前提ですが、個人の責任でていねいに扱えば寿命の二倍程度は使えるのが普通です。家庭や個人の生活では案外無駄に捨てますが、生産工場などは寿命が終わった後の機械をどの程度使うかが会社の収益を決めることも多いのです。古い機械を何とか使い、ものを作ればその機械の簿価はほとんどないので、売り上げはそのまま収益に貢献します。この場合の「収益」はお金であるとともに、まさにそのもの自体が環境負荷でもあり、古い機械を大事に使うことによって社会はその功績を認め、その会社に収益を与えると考えてよいのです。 もし家庭電化製品や自動車をその設計寿命の二倍の長さまで使えれば、資源もゴミも四分の一に激減します。四分の一になれば日本の資源問題や環境問題、ゴミ問題のほとんどは一段落するのは目に見えています。すでに材料を長寿命にしたり、部品の交換をできるようにしたりする技術は整っています。 二〇世紀は物質優先の社会でした。それはある意味では正解でしたが歪みもあり、二一世紀の心の時代に向かって進もうとしているのです。心の時代では物質に注目するのではなく、心を第一にするのです。たとえば、「ものの寿命」、つまり「マテリアル・ライフ」は様々な要因で決まります。あるものは材料そのものが悪くなって捨てるケースです。その例として「机」を考えますと、もう三〇年も使ってそろそろ机に使っている木材が悪くなってきた、という場合が一番まともな場合で、材料寿命が全(まつと)うされた場合です。 しかし机が捨てられる多くの場合はそうではありません。子供が小学校に上がるときに買った机は、高学年になるといかにも小さくなり使うことができなくなります。また一〇年も使った机は少し飽きがきて替えたくなることもあります。 「物質の時代」から「心の時代」に代わってマテリアル・ライフはどのように考えたらよいのでしょうか? まず、心を一番に持ってくることです。洋服でも、ポロボロになるまで着たいと思うような気に入ったものを自分の周囲に置くことです。そのためには安いから、多いからというのでなく、本当に自分が欲しいものを見極め、それを買うことを徹底しなければなりません。 それでも流行が変わったり、気分を変えてみたり、極端な場合には考えに考えて買ってきたものの、家に帰って着てみたらイヤになったということもあります。 心の時代ではそういうときは買ったばかりの服を捨てるのが正しい、と考えることと思います。そのかわり、小学校に上がるときに買う机は脚が伸びるもので、少し大きめのものを買い、それをずっと使い続ける設計をすること、そして官庁などで「予算があるから一斉に机を交換する」などという社会的な歪みをなくすことです。 私たちは心の時代の到来に合わせて、今までの使い方、マテリアル・ライフの考え方を根本から変えていく時期にきているのです。 製品を共白髪まで使うこと、それはメーカーの設計の問題というより、おそらくは「消費者」の覚悟だけでしょう。 『リサイクル汚染列島』(青春出版社)武田邦彦著より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.07.31 00:00:21
コメント(0) | コメントを書く |