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日本にも、オンネ スのような人がいます。日本の気象庁の技官 、忠鉢繁さんです。この方は、南極の昭和基地でオゾン層をずっと観測していました。寒い最中、外に出て、空を見上げる。そして、はるか上空の成層圏にあるオゾンがどのくらいの濃度かというのを測ったのです。
測り始めたとき、それが何の役に 立つのか、忠鉢さんもわかっていなかったのではないでしょうか。ですから、何の役に立つかわかりませんけれども、とにかく測っていたのです。 オゾン層の大切さ、というのは、この頃わかり始めていました。地球ができるとしばらく経って、生物が誕生するわけですが、最初は海の中の生物だけでした。生物は二酸化炭素を分解し、海の中に酸素をはき出しました。これは当然、そのまま空中へと出ていきます。 するとこの酸素は、上にのぽっていって、上空5000メートルくらいのところにある成層圏に到達します。このぐらい高くなりますと、太陽の光の強さも半端ありませんから、強烈な光を受けた酸素は、それによって変化してしまうのです。こうしてでき たのがオゾン層です。 オゾン層というのは非常に私たちの役に立っていて、この存在のおかげで、人間は生きているともいえます。太陽というのは、巨大な原子炉ですから、強烈な放射線や紫外線がどんどん降り注いでいます。当然、生き物は生きていけませんから、光の届かない海の底深くで、ぶくぶくと生きていたわけです。 しかしやがて、オゾン層ができあがったことによって、太陽からの有害放射線が、地表に届かなくなったのです。安全になった、ということで、ようやく生物は陸地に上がってきました。 それが5億5000万年前。地表に出たことで、生物は加速度的な進化を遂げます。オゾン層はいわば、生物の防御壁なのです。 オゾン層の役割がだんだんわかってきましたので、アメリカのNASA(航空宇宙局)は人工衛星を飛ばして、オ ゾン層を測っていました。 忠鉢繁さんはひとり、南極の大地の上から、オゾン層を観察していたわけです。 するとある日、変なことに気がつきます。測定していると、どうもオ ゾン層の薄いところが結構ある。しかも、季節によって変動して 、大体8月から9月ぐらいになると、ほとんどオゾン層がなくなるという箇所があることを発見したのです。忠鉢さんは当然、結果を発表します。 これにNASAは噛みつきました。 だって、自分たちの人工衛星からの観測では、そんな結果が出ていないのです。こっちは、技術の粋を集めた人工衛星からの観測。そっちは、ひとりの人間が、南極大陸の上から観測しているだけ。どちらが「正しい」かは、火を見るより明らかだ、というわけです。 NASAは、自分たちの技術力を信じていますし、それに裏打ちされているからこそ「正しい」と信じることもできます。そうは言っても、確認だけはしようと、NASAは自分たちのデータを調べます。すると、とんでもないことがわかりました。 人工衛星の観察プログラムを組んでいた担当者が、想定を外れた数値が出ると、「このデータは信用できない」と評判を落としてしまうので、こうした異常な数字が出た場合、正常値に直すようにプログラミングしていたというのです。 忠鉢さんの言っていることのほうが、「正しい」可能性が高まってきました。この分野の研究者たちの間では大騒ぎとなりまして、慌ててそれぞれに観測しました。すると、忠鉢さんの言う通り、オゾン層の一部がなくなることがわかったのです。オゾンホール―――オゾン層が破壊されていることを発見したのです。 クーラーなどのフルオロカーボン(フロンなどの正式名称)などが原因でした。もし、忠鉢さんの観測がなければ、オゾン層が破壊されていることに、気づかなかったかもしれないのです。事実、皆、の発表が科学的にも「正しい」と思っていたわけですから。オゾン層が破壊されてしまえば、放射線がすべて直接降り注いできますから、人間は絶滅してしまったでしょう。忠鉢さんは、人類にとっての恩人とも言えます。 では忠鉢さんは、オゾン層が破壊される、ということに気づいていたのでしょうか。 決してそうではないでしょう。毎日、計測していただけです。しかし偶然、人類を救う大発見をした。 結果、どうなるかわからない。これが科学な のです。 科学的正しささえ疑う。それが科学な のです。逆に、自分の言ってきたことが「正しい」と、疑問を差し挟まなくなった時点で、科学者は終わってしまう のかもしれません。 現代社会は、「科学」によって発展してきました。しかしそのことが逆に、科学に 裏打ちされたかのような言説で人を惑わすことにもなっています。生物多様性、地球温暖化、ダイオキシン‥‥‥こうした言説のアヤシさを、私はこれまでことあるごとに著書で書き、メディアで語ってきました。私はこうした言説で作られていく「空気」を危惧するからです。一度、空気ができあがると、皆、その先を考えようとしません。 社会はそうした「正しさ」で溢れています。男女平等、平和、民主主義‥‥こうしたワードも、一種の「空気」です。誰も、本当のところを考えようとはしていない のです。 『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.09.15 00:00:22
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