小説を書いた日本女性と、書けなかったヨーロッバ女性
小説もまた、日本では女性の仕事でした。架空ーー英語で言えばフィクシ ョンですからね、フィクシ ョン、つまり小説を書くことが女性の仕事なのは当然です。
日本初の長編小説は、紫式部(女性)の書いた、『源氏物語』です。だいたい、1000年前後に成立したと言われています。「世界最古の小説」という言われ方もしていますね。同じ頃に、清少納言(女性)によって、『枕草子』が書かれますが、これなんぞは、「日本における随筆の起源」なんて言われております。つまり、小説的なもの―――架空の文章は、すべて女性が担っていたのです。これは大変に評価すべきことで、日本の女性が独立していたということです。長編小説やエッセイを書いても、別に怒られなかったのですね 。
文学に詳しい人ならば、「紀貫之が『土佐日記』を書いたじゃないか」と言われるかもしれません。確かに『土佐日記』は 、土佐から京都の道中を、虚構を交えてつづった日記文学です。
しかし、これとて「男性」としては書いていません。紀貫之は、書き手を女性に仮託し書くほかなかったのです。フィクションを書くことが、女性の役割だったからです。男性が小説なんか書いたら、「おまえ、男として駄目だな」なんて、こう言われる時代でした。
『源氏物語』と同時期の作品を見回しても、男性が描いたのは、『将門記』のような軍記物など、記録文しか残っていません。
では、諸外国はどうでしょうか。
ヨーロッパで女性の小説家が誕生したのは、1600 年代後半でした。アフラ・ベーンというイギリス女性です。アフラ・ベーンは、オランダ系の商人ベーンと結婚しますが、1年半で死別してしまうんです。小説を書き始めたのは、未亡人になってからです。どういうことかと言いますと、妻である間は、小説を書く自由がなかったということです。未亡人という男性から干渉されない立場を得て初めて書くことができました。
ヨーロッパでは当時、女性は男性の付属物だったのです。所有物でした。女性が男性の付属物である社会では、どうしたって女性が虐げられていますから 、「男女平等」を叫んで、権利を獲得していく、とこうなっていきます。ところが日本では、そもそも、男女の果たす役割が違いました。同じフィールドで活動していないのですから、男女を比べようがない。例えば宗教だって、天照大神や卑弥呼がそうであるように、女性の役目でした。
男女平等―――こう言うと、誰もが「正しい」と頷(うなず)かざるを得ません。でも、この考え方は、ヨーロッパから出てきたのですが、日本の文化から考えると違和感を覚えます。
もちろん、選挙権など「一人の人間」としての権利は平等ですが、私自身は、日本の文化の男女関係の素晴らしさを、いま一度、見直してもいいのかな、と考えています。こういうシステムを、会社にいれられないものでしょうか? 新たな日本式のビジネススタイルになると思うのです。
『「正しい」とは何か?』武田邦彦著 小学館より